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蓬田良和『ベトナム戦争、韓国の痛み』(2)
 蓬田良和「ベトナム戦争、韓国の痛み」(『週刊金曜日』98年6月19日号)。

 
ダナンから南西へ35キロメートルの地点にあるディエン=タオ村。67年1月30日、ここで145名のベトナム人が、韓国軍部隊によって虐殺された。数少ない生き残りの一人がマイおばあさんだった。トンネルに3時間ほど潜り、一命を取り留めたのだった。
 「虐殺の直後、生き残った村人は遺体を集めて埋葬しました。ところがその15日後、韓国兵がふたたびやってきて、埋葬地を見つけてブルドーザーで掘り起こしていったのです。そこで村人は腐りかけた死体をもう一度埋葬しなければなかったのです
 韓国軍がこのような行為に出たのは、解放戦線が使用していたトンネルがあるのでは、と疑ったからという。
 次に一行が訪れたのは、ディエン・ズオン地区。朱印船貿易時代(17世紀前半)に日本町があったことで知られるホイアンから、5キロほど離れたところにあある。
 この地区から3キロ離れたところに「ブルー=ドラゴン(青龍)」という韓国軍の旅団がいた。そして彼らによって2度の虐殺が行われた。1回目は68年2月24日、人口148名のハーミ村で。生存者はわずか9名だった。ホックンリンの教会で40名全員が殺された。生き残ったグエン=カイさんは、68年2月1日から23日までハーミ村の人々は駐留する韓国軍と平穏に暮らしていたという。たまには韓国軍からお菓子や食料などをもらうこともあったという。


 この証言によると韓国軍は虐殺をやらかしただけではなく、埋葬地を掘り返すなど墓暴きもしでかしていたことがわかる。もちろんこうしたことは韓国の歴史教科書には一言も書かれていない。

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| gimonshi | 11:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
蓬田良和『ベトナム戦争、韓国の痛み』(1)
 7月12日から16日まで本多勝一『戦場の村』の欺瞞的な内容を紹介したが、その本多が編集委員をつとめる『週刊金曜日』は韓国人によるベトナム人虐殺に関する記事を掲載したことがある。同誌98年6月19日号には、フリーライターの蓬田良和氏が『ベトナム戦争、韓国の痛み』と題するレポートを寄稿している。当委員会が保有する日本人によるレポートとしては最新のもので、非常に貴重である。

 
「この近所から、韓国の海兵隊がやってきました。それ以前にも大勢のアメリカの海兵隊が来ていましたが、挨拶するくらいで何も起こらなかった。だから韓国の兵隊も、アメリカとだいたい同じだろうと思っていたのですが・・・」
 ベトナム中部の都市・ダナンの郊外にあるディエン=タオ村。ベトナム春巻を包むライスペーパーがいくつも積み上げられている机を前に、トロン=ティ=マイさん(70)は31年前の忌まわしい記憶をたどり始めていた。
 韓国の海兵隊は手榴弾を投げ、虐殺を始めた。マイおばあさんの家では、彼女の両親を含めて4名が殺された。兄の嫁が1ヶ月の新生児を育てていたが、韓国兵士に銃殺され、兵士はその死体を持って壁に叩きつけた。韓国軍の兵士たちはガソリンを使って民家に火をつけてまわった・・・。


 これが本多が褒め称える「あたたかく親切」で「いたわりの心情」がにじみ出ている韓国軍の正体である。本多勝一は自分が編集している雑誌を呼んで反省せよ!

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| gimonshi | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一『再訪・戦場の村』の変節
 本多勝一氏は『戦場の村』のもとになった取材を行った8年後、再びベトナムを訪れている。その取材結果は『再訪・戦場の村』(1975年)という著書にまとめられている。そこにはそんなことが書かれている。

 
韓国軍の去った村
 ・・・7月28日の午後、私たちはニャチャン市を出発してクァンガイ市に向かった。この道中は私にとって個人的にもたいへん感慨深いところだ。通過する3つの省−フーイェン、ビンディン、クァンガイの3省は、8年前のルポルタージュ『戦場の村』の主舞台である。フーイェン省の省都チュイホアからビンディン省の省都クイニョンにかけては韓国軍の「猛虎」「白馬」両師団が侵入・占領して各地で作戦を展開し、それよりも北では米軍が残虐きわまる掃討作戦と焦土化・住民強制移住をすすめていた。ソンミ事件をはじめとする無差別虐殺事件も、この一帯で多発した。
 チュイホア県をすぎて、韓国軍が掃討作戦を繰り返していた地域にはいる。1967年の猛虎師団による「烏鵲橋(ウーソツキョウ)作戦」や「洪吉童(ホンギルドン)作戦」で輸送基地になっていたカイ川の河口周辺は、すべての軍事的ガラクタが消えうせて、なにごともなかったかのように静かな田園となっている。・・・(中略)カイ川の南のやはり1号国道ぞいには、猛虎師団が建設したフージェム村の「新生活村」もあるはずだ。フーイェン省とビンディン省の境界のクーモン峠は、猛虎師団が「にぎりめし作戦」のエサで解放区の村人を「手なずけた」ところだ。クイニョンの北西のスオンミイ部落は、猛虎師団が反共のショーウィンドーとして作った実験的部落であった。


 この著書で本多氏は韓国軍を「侵略者」「外国侵略軍」などと表現している。しかし9年前に書いた著書で本多氏は次のように述べている。

 
クモン峠は、一昨年の夏米軍第101空挺師団が作戦して以来南の解放区と北の政府支配地区を分ける境界線だった。同年11月からここを引き継いだ猛虎師団は、南北朝鮮を分ける38度線にこの峠を見立てて、この市場を「板門店」と呼んだ。「板門店」で、解放区と政府側地区の民衆が自由に接するのを利用して、韓国軍は心理戦を思いついた。解放区に米が不足がちなのを知って、まず毎日50キロの飯をたき、市場にくる解放区の農民に食わせる。最初は受け取らなかったが、次第に食べ始めた。やがて診療所も開設して、1日平均100人前後の患者をみた。これが14ヶ月続けられたあと、侵攻に移ったのである。
 

 このような記述の後に、本多氏は「サイゴンをはじめ、韓国軍占領区以外の南ベトナム全土で、あれほどにも悪評と黒いうわさをきかされる韓国軍は実は一番神経をつかい、最も献身的にベトナム民衆につくしている」などと韓国軍を褒め称えているのである。それを8年後には「クーモン峠は、猛虎師団が『にぎりめし作戦』のエサで解放区の村人を『手なずけた』ところだ」などと述べている。8年間の間に何らかの「真相」を知ったための変節なのであろう。

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| gimonshi | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一『戦場の村』(4)の欺瞞
 本多勝一は韓国軍幹部にもインタビューを試みているが、ここでも相手の言うことを全部鵜呑みにして、宣伝工作にのせられてしまっている。

 
・・・「あんまりほめてはいけません」と、猛虎師団の柳少将は完璧な日本語でいった−「若い兵隊は人間ですから、決して完璧ではありません。あやまちの例もかなりあります。でも、韓国軍の各兵卒が、おっしゃるように立派だとしたら、それは上からの命令や方針によるものではないと思います。各個人の自覚の問題です。各個人が、共産主義者との戦いの意味を本当に自覚しているのでなければ、この戦争はできません。信念の問題です」
 では、いったいなぜ、こんなにも評判が悪いのだろうか。
第一に、ベトコンの宣伝です」と師団長は答えた−「後方撹乱戦術です。同盟軍を分裂させようとするもくろみのひとつです。そして第二に嫉妬です
 韓国軍が非常に効果的に戦闘していることに対する外国軍隊のやきもち。それ以上に、ベトナム人の韓国人に対する嫉妬・・・。この「嫉妬」という師団長の指摘は、かなり当たっているようだ。私たち自身、よく韓国人と間違えられたとき、ベトナム人の示す反応にそれがあった。何でもない動作、たとえば米軍に従軍するとき、戦場用の軍服を着てサイゴンの飛行場に行くと、入り口付近にいるベトナムの青年などが「ダイハーン(韓国人)!」といいながらこちらを見るときの態度に、明らかに「軽蔑」という表現によって「嫉妬」をおしかくしている様子が読みとれた。
 

 当時「(本多の)おっしゃるような立派な兵卒」が虐殺や強姦をやらかしていたのだから皮肉なものである。韓国軍の悪評は決して「共産側のデマ」などによるものではない。こんなに簡単に韓国軍幹部の宣伝工作に納得してしまうのなら、「南京大虐殺」否定派を非難する資格などない。本多は『週刊金曜日』などでベトナム人に謝罪すべきであろう。

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| gimonshi | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一『戦場の村』(3)の欺瞞
 本多勝一の欺瞞的な提灯記事はまだ続く。

  
では戦場となった村、あるいは韓国軍占領地区のベトナム民衆は、韓国軍をどう見ているのか。こんなとき、知人でもない村人にいきなり感想を求めても、彼らは本心を話さない。こういう場合の「本心」は、決して相手(この場合は韓国)に迎合しないことだけを意味しない。逆に相手の望まぬこと、ベトナム人の「本心」は、日本人の「本心」とは異質である。迎合とは正反対の言辞によって、迎合することもあり得る。烏鵲橋作戦とのきは、元日本兵でこの付近に知人の多いベトナム在留日本人を同行していたので、その旧知を通じてかなりの本心をきくことができたように思う。さらに7月の洪吉童(ホンギルドン)作戦でも同じ地区を訪ねて、その後の韓国軍に対する民衆の反応を調べた。全体の傾向として、韓国兵と直接接する機会が多いほど評判はよく、接触が間接的になるほど評判も悪くなる。ひどいうわさについても、その出所を徹底的に追跡してゆくと、ほとんどはデマだった。たとえば「両手をあわせて助命した漁民に対して、あわせた両手の甲を小銃で打ち抜いて応じた」という話をきいたとき、その舞台にいた村人に確認してみると、そこは韓国軍が一度も行った事のない村だった。・・・(中略)だが、韓国軍をこきおろす農民も、もちろんいる。とくに解放区の家を作戦のために追い出され、難民となってみすぼらしい収容所にいる人々に多い。・・・(中略)評判と取材結果とは正反対になった。サイゴンをはじめ、韓国軍占領区以外の南ベトナム全土で、あれほどにも悪評と黒いうわさをきかされる韓国軍は実は一番神経をつかい、最も献身的にベトナム民衆につくしている。ことによると、韓国軍が派兵したばかりのころは、うわさのようなこともあったのかもしれない。あった可能性は高いと思っている。だが、デマと宣伝の充満する戦国で、クチコミによる材料を取材の素材にすることはやめよう。
 

 理解を絶する文章である。本多は一体何を言いたいのか。特に「迎合とは正反対の言辞によって、迎合することもあり得る」とはまったく意味不明。「虐殺がなかった」と言えば迎合することになり、「虐殺があった」と言っても迎合することになるということか。「イヤよ、イヤよもイイのうち」ということなのか。本多は「残虐行為があった可能性は高い」などと言いながら「クチコミによる材料を取材の素材にすることはやめよう」などと破綻したことを書いている。「虐殺がなかった」というのもクチコミ取材と韓国軍の宣伝に乗せられた結果ではないのか。

 本多が取材した「南京大虐殺」も「デマと宣伝の充満する戦国」で起こったことだろう。では「南京大虐殺」もなかったことになるのか。デマと宣伝があったからといって、韓国軍の腐れ外道のような行為がなかったことにはならない。

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| gimonshi | 10:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一『戦場の村』(2)の欺瞞
 ベトナムに行って韓国軍の宣伝工作にまんまとのせられてしまった本多勝一氏のレポートは続く。

 
第3に戦場で出会った村人らに対して、韓国軍は自国の通訳に話させる。米軍は通訳をつれていないか、ベトナム人通訳兵を使うかだが、韓国軍は中退ごとに自分で養成した通訳をつれている。若い兵隊にベトナム語を集中的に学ばせて、配属しているのだ。・・・(中略)韓国兵通訳は、米軍の使っているベトナム政府軍通訳兵に比べて、民衆に対する態度は明らかに暖かく、親切であり、いたわりの心情がにじみ出ている。第4に、ベトナム人に対して、根本的なところで気を使うべく教育されている。小さな例をあげよう。子供にガムやアメ玉を与えるときの様子は、アメリカ兵が犬にやるようにわざと遠くに投げて喜んでいるのに対し、韓国兵はジープからおりて、子供ひとりひとりに直接手渡しする。総じて規律がきびしく、兵卒たちは非常にまじめである。このように戦場での韓国兵は米兵よりあらゆる点で立派だということができる。・・・(中略)いずれにせよ、あらゆる悪評と暗いうわさにもかかわらず、自分の目で確かめた材料で考える限り、戦場の韓国軍はベトナムの全外国軍隊と政府軍を通じて、疑いなく最優秀だということができる。
 

 しらじらしい文章である。本多氏はわざわざベトナムまで行って何を見聞きしてきたのか。過去にこのブログで紹介したベトナム人の証言を再引用しよう。1966年秋の韓国軍の虐殺を記したアン・ハイの証言である。

 
彼ら(韓国軍−引用者)は村に着くと、全住民に一ヶ所に集まるように命じた。彼らのできるベトナム語はディ・ディ(行け行け)だけだった。通訳はいなかった。彼らは群集の中から15位になっている少年を引っぱりだし、一列に並ばせ、他の人々から数ヤード離れたところに座らせた。かれらは列の一方の端にいた13才の少年を人々に向かって立たせ、韓国語で若干の質問をした。もちろん、彼も他の誰も何を言っているのか分からなかった。数分后彼が答えられないのをみて彼らは彼を一方の墨に連れていき、彼を射ち、死体を穴に投げ込んだ。 これから彼らは二番目の少年を引き出し彼を猛烈に殴ってから「英語が話せるか」と尋ねた。私は学校で少し習ったことがあるので、名乗り出た。韓越辞典とわずかな英語をたよりに、私は、私の名前や年齢や住む村についての彼らの質問に答えた。しかし、私が「ベトコンの司令部がどこにあるかは知らない」と答えたとき、彼らはのどに銃口ををあてた。・・・(中略)夕方、韓国兵はまたアント村に戻ってきて、この人々を一ヶ所に集めた。彼らは子供たちに韓国の菓子を与えた。それから機関銃と手榴弾で彼ら全員を殺した。彼らは死体の山を残していった。生き残った者はいなかった。我々が彼らが菓子を与えたことを知ったのは、2日後に村に下りて行った男が死体を発見し、死んだ子供の手と口に菓子が残っているのを発見したからだ。


 このように韓国軍は通訳も連れずにベトナム人を尋問し、言葉が通じないと無慈悲に虐殺していたのである。また、子供に菓子を与えて懐柔し、その後、単なる腹いせのために射殺していたのである。この鬼畜の所業のどこが「あたたかく親切」で「いたわりの心情」がにじみ出ているというのだろうか。こうした犬畜生にも劣る所業を行う韓国軍兵士を「立派だ」「最優秀だ」などという本多氏は、韓国軍の宣伝にのせられているのか、あるいは韓国軍の宣伝役を買ってでたかのどちらかであろう。

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| gimonshi | 10:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一『戦場の村』(1)の欺瞞
 本多勝一『戦場の村』(朝日新聞社、1968年)は本多氏自身のベトナム取材をまとめた著作である。しかし、そこで本多氏は露骨に韓国軍の残虐行為を否定し、「デマだ」「うわさにすぎない」などと、韓国軍を弁護さえしているのである。

 
サイゴンで聞く韓国軍の評判は、極度に悪い。ベトナム戦争で、解放戦線と対決する主要な勢力は米軍、ベトナム政府軍、韓国軍の三者であろうが、ベトナムの一般民衆の人気は、韓国軍が最低である。この空気は日本にまで伝わって韓国軍はひどいそうだ、というようなうわさを耳にする。なぜこんなにきらわれているのか。たとえば赤ん坊の両足をひっぱって、マタをひきさいた、というようなうわさは、事実だろうか。また、かつて植民地だった韓国が、やはり植民地だったベトナムに派兵して、どんな戦争をしているのだろうか。「アメリカの戦争」のもとで、アジア人同士がどのように戦っているのだろう。
 まず戦場の村での韓国軍の態度を見る。烏鵲橋作戦では、猛虎師団26連隊第1大体の第1中隊と、同第1連隊第1大隊の第10中隊とに従軍して、露営も共にしながら二ヶ所の戦場を歩いた。
 解放区の部落に進入するとき、韓国軍は米軍と全く対照的な態度をとる。第一に、相手が撃ってこないかぎり決して発砲しない。第二に、農家の破壊・放火のたぐいは全くせず、無人となった家でも、すべては無傷のまま残してゆく。戦車は、なるべく田んぼをさけて道路を走る。


 常識的に考えて従軍取材をしている報道関係者がいる前で、韓国軍が農民を虐殺したり婦女子を強姦したりするわけはないだろう。実際には「相手が撃ってこないかぎり発砲しない」どころではなく、何の抵抗もしないベトナム人を腹いせのために虐殺していたのだし、「ベトコンを庇護している」という心証があれば農家を破壊・放火しまくっていたことは当の韓国人兵士自身が証言しているのである。本多氏は自分が取材してきた「南京大虐殺」を否定されると、躍起になって反駁しているが、そのくせ自分も「韓国人によるベトナム人虐殺」は否定しているのである。

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| gimonshi | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
野村進『コリアン世界の旅』(5)
 野村進『コリアン世界の旅』では野村氏の取材当時(90年代前半)におけるベトナム人の韓国人観についても触れられている。

 
ベトナム人の韓国人観はどんなものか。
 私という日本人記者の問いに対するベトナム人たちの答えは、ひとことで言って「悪評紛々」である。在米コリアンがロサンゼルス暴動の前、黒人やヒスパニックから嫌われていたように、韓国人の我流を強引に押し通すやり方は、ここベトナムでも地元民の強い反発を買っている。最近も新聞で大きく取り上げられた事件があった。韓国人の女性技術指導員がベトナム人の女子工員を靴で殴りつけたことをきっかけに、ベトナム人社員たちが韓国人企業との合弁契約を破棄するように求める騒動にまで発展したのである。
 傲慢で、すぐに暴力を振るい、ベトナム人を見下しているというのが、少なからぬベトナム人にとっての韓国人のイメージである。実はこれも一昔前に日本人が韓国や東南アジアでさんざん浴びた批判そのままなのだけれども、私の会ったベトナム在住韓国人たちは、あの金牧師(野村氏が取材で会った韓国・ベトナム混血児支援施設の運営者−引用者)な人ですら、「ベトナム人の対韓感情は悪くない」と口をそろえるのだった。在米コリアンの取材でも痛感したのだが、韓国人が自分で描く自画像と、他者の目に映る韓国人像とのあいだには、ずれがありすぎるのではないか。


 このように韓国人はベトナム戦争における自らの蛮行を省みないまま、今もベトナム人に傲慢と暴虐の限りをつくしているのである。

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野村進『コリアン世界の旅』(4) 女子供も見境なくね。
 野村進『コリアン世界の旅』からの引用。キム元上等兵の証言。
 
 
村をひとつ焼いて、皆殺しにしたことがあるんだけどね、16、7軒くらいかな。とにかく小さな村で、全員死んだと思ったら、生存者がいてその通報でバレたんです。あとで問題になりましたよ。でも、これはやむを得なかった。うちらが命懸けでその村を守っていたのに、連中はベトコンとツーカーで、韓国軍の動きは筒抜けだったんだからね。みんな完全にキレましたよ、あのときは。家に火をつけて、撃ちまくってやった。ええ、女も子供も見境なくね。焼け残った寝台の下からベトコンの旗とか爆破装置とかいろいろ出てきたので、ああやっぱりそうか、と。つまり、うちらは住民を守るつもりで敵を守っていたわけです。場所?ホンバ山のふもとの村ですよ。」
 ホンバ山のふもとなら、元戦災孤児のスサたちに会ったラクアン村と同じ地域ではないか。年月日は?犠牲者の数は?私が質問を続けると、キム元上等兵の口は途端に重くなり、しまいに、
 「もうその話はよしましょう」
 と口を閉ざしてしまった。だがもうひとつ、どうしても訊いておきたいことがあった。ラクアン村の老人が言っていた「耳切り」の話は事実なのか。
 「それは、われわれが戦争で何人、人を殺したか、その証拠としてそうしたわけで。ほかに切るところもなかったし・・・。あれで韓国軍は残虐だっていうことになったんだけどね・・・
 


 ここでも韓国軍が無抵抗の婦女子を虐殺したことが明らかになっている。さらに「耳切り」があったことを虐殺者自身が認めているということで、この証言は貴重である。

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| gimonshi | 01:30 | comments(1) | trackbacks(1) | pookmark |
野村進『コリアン世界の旅』(3) 拷問にだって、女は強いです
 ホーチミン(旧サイゴン)で野村進氏は虐殺者側の韓国人兵士にもインタビューを試みている。

 
アメリカ・ベトナム国交正常化のニュースが世界中を駆けめぐっていた頃、かつて「サイゴン」と呼ばれたホーチミン市で、一人の韓国人兵士に会った。韓国軍歩兵部隊「白馬部隊」にいた、日本で言うなら、「全共闘世代」に属するこの男性を、仮にキム元上等兵としておこう。
 「人間、死ぬか生きるかのときは、思わぬ力が出るもんですよ。特に女のほうがね」
 穏やかな笑みを浮かべて当時の回想をしていたキム上等兵の話は、そこから急に意外な展開を見せる。
 「銃で撃つでしょ。男のベトコン(南ベトナム解放戦線兵士)は、5メートルくらい歩いて、それで倒れておしまいですよ。女は違う。30メートルくらい走って逃げてから、やっと倒れて死ぬんですよ。いや、びっくりしましたよ。拷問にだって、女は強いです。ベトコンの美人で、看護少尉してたのを捕まえて、木に吊るしたんだけどね。もう鉄棒で殴ったって何したって、絶対に口を割らんのです。黙秘のまま死んだけどね。
 死体を調べたら、シャツのポケットからホー・チミン(当時の北ベトナム大統領)の写真と家族の写真が出てきた。二枚の写真は、白い絹織物で丁寧にくるまれていたという。そのときは何も感じなかったけれど、いまになってあの白い布に包まれた家族のポートレートが忘れられない。

 
 これでわかるように韓国軍は捕虜に残虐な拷問を加え虐殺していたのである。まさに彼らが躍起となって非難する、「日本の警察・憲兵が朝鮮人に加えた暴虐」とまったく同じである。ただ日本の警察・憲兵の行為は許しがたく、自分らの行為は隠蔽・糊塗の対象であるという、差があるだけである。

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| gimonshi | 09:27 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |

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