本多勝一の欺瞞(続)
2006.12.22 Friday | category:本多勝一
本多勝一は『週刊金曜日』(00年3月17日)で次のように述べている。
本多はドイツとポーランドを日本と韓国の関係に置き換えることで、巧みに韓国の悪行と自分の恥ずべき過去を隠蔽している。韓国の過去と現実を語るなら、むしろ、ドイツとイスラエルの関係に置き換えるべきである。本多の手法をまねて書くとこうなる。
韓国と日本の関係は、ドイツとイスラエルのそれに似ているのではないでしょうか。ドイツはユダヤ人を虐殺し、敗戦までにご存知のようなひどいことをやっていました。ユダヤ民族の絶滅をはかったナチスドイツと、朝鮮民族の同化をはかった日本のどちらがひどかったのかいう問いについてはさまざまな意見がありえるでしょう。
しかし共通しているのは日本・ドイツと韓国・イスラエルの戦後です。加害者だった日本・ドイツが侵略や虐殺とは無縁だったのに対し、被害者だったイスラエルはパレスチナ人を虐殺しまくり、それは今も続いています。韓国も反共を口実にベトナムに派兵し、女子供を強姦したり虐殺したりしました。本田勝一も韓国軍の招きに応じて韓国軍の代弁をしていました。
歴史教科書でも日本とドイツは過去の過ちを曲がりなりにも認めていますが、イスラエルや韓国ではパレスチナ人虐殺やベトナム人虐殺は「正義」なのです。
肝心なことについては口をぬぐって、日本攻撃にのみ熱をあげる本田勝一を弾劾しよう!人気ブログランキングをクリックしてベトナム人虐殺にほっかむりをする韓国人を糾弾しよう!
韓国と日本の関係は、ヨーロッパでいえばドイツとポーランドのそれに似ているのではないでしょうか。ドイツはポーランドを侵略し、敗戦までにご存知のようなひどいことをやっていました。その点は韓国に対する日本と共通でしょう。しかし全く異なるのは、戦後の両国です。現在に至るまでにドイツがポーランドに対してやってきたこと、日本が韓国にやってきたことは、もはや「天地の差」でしょう。歴史教科書の作り方ひとつをとっても、ドイツはポーランド側と協力しながら、共通の認識を求めて努力していますが、日本はそれどころか、最近はむしろこれまで以上に改悪させようとする勢力が跋扈しつつあります。
本多はドイツとポーランドを日本と韓国の関係に置き換えることで、巧みに韓国の悪行と自分の恥ずべき過去を隠蔽している。韓国の過去と現実を語るなら、むしろ、ドイツとイスラエルの関係に置き換えるべきである。本多の手法をまねて書くとこうなる。
韓国と日本の関係は、ドイツとイスラエルのそれに似ているのではないでしょうか。ドイツはユダヤ人を虐殺し、敗戦までにご存知のようなひどいことをやっていました。ユダヤ民族の絶滅をはかったナチスドイツと、朝鮮民族の同化をはかった日本のどちらがひどかったのかいう問いについてはさまざまな意見がありえるでしょう。
しかし共通しているのは日本・ドイツと韓国・イスラエルの戦後です。加害者だった日本・ドイツが侵略や虐殺とは無縁だったのに対し、被害者だったイスラエルはパレスチナ人を虐殺しまくり、それは今も続いています。韓国も反共を口実にベトナムに派兵し、女子供を強姦したり虐殺したりしました。本田勝一も韓国軍の招きに応じて韓国軍の代弁をしていました。
歴史教科書でも日本とドイツは過去の過ちを曲がりなりにも認めていますが、イスラエルや韓国ではパレスチナ人虐殺やベトナム人虐殺は「正義」なのです。
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本多勝一の欺瞞
2006.12.21 Thursday | category:韓国
進歩派ジャーナリストの教祖的存在である本田勝一であるが、ベトナム戦争当時、虐殺・放火・強姦など鬼畜の所業を繰り広げていた韓国軍の招きに乗って、残虐な韓国軍を賞賛する提灯記事を書いていたことはあまり知られていない。このことについては、すでに当研究会によって明らかにされた次第がある。
http://gimonshi.jugem.jp/?day=20050712
2000年3月17日付けの『週刊金曜日』にて本多が当時の盲動を反省するどころか、韓国人の進歩派(つまり反日)ジャーナリズムと結託して、あいも変わらぬ日本批判を繰り広げていることが判明した。『週刊金曜日』の記事を引用しよう。
当時、本多がインタビューを試みたという猛虎師団の柳少将のコメントは次のとおりだ。
このように本多はまんまと韓国軍の宣伝工作にのせられているばかりか、次のように言い放っているのだ。
ベトナム民衆のクチコミを無視し、韓国軍の宣伝のほうを信じようという本多の姿勢は平素の進歩派ぶりとはかけ離れたものである。『週刊金曜日』の記事でもわかるように、今なお本多はこのことを反省していない。しかも自分の非は覆い隠したまま、こんどは韓国人と連帯して彼らの反日活動に同調しようとしているのである。
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http://gimonshi.jugem.jp/?day=20050712
2000年3月17日付けの『週刊金曜日』にて本多が当時の盲動を反省するどころか、韓国人の進歩派(つまり反日)ジャーナリズムと結託して、あいも変わらぬ日本批判を繰り広げていることが判明した。『週刊金曜日』の記事を引用しよう。
その後の私にとって忘れぬことのできぬ韓国とのかかわりは、1967年のベトナムにおける韓国軍猛虎師団への従軍です。私はベトナム戦争を長期にわたって報道してきました。従軍はアメリカ軍にもベトナム軍(当時の南ベトナム解放戦線)にもしましたが、猛虎師団への従軍にも印象深いものがあります。・・・このときインタビューした師団長・柳炳賢少将や韓国人ジャーナリスト崔仁集などの言葉も紹介しましたが、これらの人々の当時の言葉は、いま読んでも古くなっていないようです。
当時、本多がインタビューを試みたという猛虎師団の柳少将のコメントは次のとおりだ。
・・・「あんまりほめてはいけません」と、猛虎師団の柳少将は完璧な日本語でいった−「若い兵隊は人間ですから、決して完璧ではありません。あやまちの例もかなりあります。でも、韓国軍の各兵卒が、おっしゃるように立派だとしたら、それは上からの命令や方針によるものではないと思います。各個人の自覚の問題です。各個人が、共産主義者との戦いの意味を本当に自覚しているのでなければ、この戦争はできません。信念の問題です」
では、いったいなぜ、こんなにも評判が悪いのだろうか。
「第一に、ベトコンの宣伝です」と師団長は答えた−「後方撹乱戦術です。同盟軍を分裂させようとするもくろみのひとつです。そして第二に嫉妬です」本多勝一『戦場の村』(朝日新聞社、1968年)
このように本多はまんまと韓国軍の宣伝工作にのせられているばかりか、次のように言い放っているのだ。
サイゴンをはじめ、韓国軍占領区以外の南ベトナム全土で、あれほどにも悪評と黒いうわさをきかされる韓国軍は実は一番神経をつかい、最も献身的にベトナム民衆につくしている。ことによると、韓国軍が派兵したばかりのころは、うわさのようなこともあったのかもしれない。あった可能性は高いと思っている。だが、デマと宣伝の充満する戦国で、クチコミによる材料を取材の素材にすることはやめよう。
ベトナム民衆のクチコミを無視し、韓国軍の宣伝のほうを信じようという本多の姿勢は平素の進歩派ぶりとはかけ離れたものである。『週刊金曜日』の記事でもわかるように、今なお本多はこのことを反省していない。しかも自分の非は覆い隠したまま、こんどは韓国人と連帯して彼らの反日活動に同調しようとしているのである。
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