本多勝一の欺瞞
2006.12.21 Thursday | category:韓国
進歩派ジャーナリストの教祖的存在である本田勝一であるが、ベトナム戦争当時、虐殺・放火・強姦など鬼畜の所業を繰り広げていた韓国軍の招きに乗って、残虐な韓国軍を賞賛する提灯記事を書いていたことはあまり知られていない。このことについては、すでに当研究会によって明らかにされた次第がある。
http://gimonshi.jugem.jp/?day=20050712
2000年3月17日付けの『週刊金曜日』にて本多が当時の盲動を反省するどころか、韓国人の進歩派(つまり反日)ジャーナリズムと結託して、あいも変わらぬ日本批判を繰り広げていることが判明した。『週刊金曜日』の記事を引用しよう。
当時、本多がインタビューを試みたという猛虎師団の柳少将のコメントは次のとおりだ。
このように本多はまんまと韓国軍の宣伝工作にのせられているばかりか、次のように言い放っているのだ。
ベトナム民衆のクチコミを無視し、韓国軍の宣伝のほうを信じようという本多の姿勢は平素の進歩派ぶりとはかけ離れたものである。『週刊金曜日』の記事でもわかるように、今なお本多はこのことを反省していない。しかも自分の非は覆い隠したまま、こんどは韓国人と連帯して彼らの反日活動に同調しようとしているのである。
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http://gimonshi.jugem.jp/?day=20050712
2000年3月17日付けの『週刊金曜日』にて本多が当時の盲動を反省するどころか、韓国人の進歩派(つまり反日)ジャーナリズムと結託して、あいも変わらぬ日本批判を繰り広げていることが判明した。『週刊金曜日』の記事を引用しよう。
その後の私にとって忘れぬことのできぬ韓国とのかかわりは、1967年のベトナムにおける韓国軍猛虎師団への従軍です。私はベトナム戦争を長期にわたって報道してきました。従軍はアメリカ軍にもベトナム軍(当時の南ベトナム解放戦線)にもしましたが、猛虎師団への従軍にも印象深いものがあります。・・・このときインタビューした師団長・柳炳賢少将や韓国人ジャーナリスト崔仁集などの言葉も紹介しましたが、これらの人々の当時の言葉は、いま読んでも古くなっていないようです。
当時、本多がインタビューを試みたという猛虎師団の柳少将のコメントは次のとおりだ。
・・・「あんまりほめてはいけません」と、猛虎師団の柳少将は完璧な日本語でいった−「若い兵隊は人間ですから、決して完璧ではありません。あやまちの例もかなりあります。でも、韓国軍の各兵卒が、おっしゃるように立派だとしたら、それは上からの命令や方針によるものではないと思います。各個人の自覚の問題です。各個人が、共産主義者との戦いの意味を本当に自覚しているのでなければ、この戦争はできません。信念の問題です」
では、いったいなぜ、こんなにも評判が悪いのだろうか。
「第一に、ベトコンの宣伝です」と師団長は答えた−「後方撹乱戦術です。同盟軍を分裂させようとするもくろみのひとつです。そして第二に嫉妬です」本多勝一『戦場の村』(朝日新聞社、1968年)
このように本多はまんまと韓国軍の宣伝工作にのせられているばかりか、次のように言い放っているのだ。
サイゴンをはじめ、韓国軍占領区以外の南ベトナム全土で、あれほどにも悪評と黒いうわさをきかされる韓国軍は実は一番神経をつかい、最も献身的にベトナム民衆につくしている。ことによると、韓国軍が派兵したばかりのころは、うわさのようなこともあったのかもしれない。あった可能性は高いと思っている。だが、デマと宣伝の充満する戦国で、クチコミによる材料を取材の素材にすることはやめよう。
ベトナム民衆のクチコミを無視し、韓国軍の宣伝のほうを信じようという本多の姿勢は平素の進歩派ぶりとはかけ離れたものである。『週刊金曜日』の記事でもわかるように、今なお本多はこのことを反省していない。しかも自分の非は覆い隠したまま、こんどは韓国人と連帯して彼らの反日活動に同調しようとしているのである。
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