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ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(2)
 『ハンギョレ21』(256号)に掲載されたク・スジョンのレポートの続き。

ベトナム南部の海岸に位置したパンランは観光ガイドブックにも出ていない小さな村である。一番の繁華街であることが明らかなバス停留所にはタクシーが一台も見えず、歩いて訪ねて行ったホテルには、ありふれた冷蔵庫すらなかった。ただ、「ニョクマム(ベトナムの魚醤)の名産地」らしく、生臭い塩気が大地にあふれていた。我々の一行はまずリンソン寺を探しに向った。しかし、資料の中に登場するリンソン寺は戦争中に消滅してしまい、存在しなかった。蒸しぶろのような熱さと、揺れ続けるバスに苦しめられながら、8時間も走ってきた行程が徒勞に終わるのではないかという落胆と共に、一方ではなぜか分からない安堵のため息が漏れた。
次の日の朝、我々の一行をパンランまで案内していたベトナムの学生から緊急の連絡が來た。もともと、ホーチミンからパンランへと入る道ばたに建っていたリンソン寺は戦争中に爆破され、パンランからナチャンへ向う道ばたに同じ名の寺が再建されたということだった。我々は直ちにその寺に向った。そして、そこで当時の唯一の生存者であるプー僧侶(78)と現場の目撃者であるウンウェンティ․ユエンハン(45)に会うことができた。ここまで來る間、ずっと筆者を押さえ付けてきた不安が、否定したかった話が目の前で現実になって現れた。

子どもあれ、妊婦であれ見境なく

「タイハン(「大韓」のベトナム語読み)の兵隊たちが、まず住職に向けて銃を撃ちました。続いて助けてくれと逃げ出す尼僧にも銃を撃ちました。そして死体をすべて焼きました。」 ユエンハンの証言だ。当時、わずか15歳だった彼は恐怖のあまり、叫び声も立てることができず、隠れているだけだったと証言した。リンソン寺は5人の僧侶が居住する小さい寺であった。その時、プー僧侶は住職よりも先に村に降りていき、喪家で読経をしていた。証言の大部分はユエンハンによってなされ、この寺の唯一の生存者であるプー僧侶は無言のままだった。(中略)・・・プー僧侶が村から帰って來たときには、寺は修羅場になっていた。プー僧侶は焼けた5人の遺体を付近のアオバン寺に移した。遺体を持っていかれるかもしれないという不安からだった。このニュースが伝えられるや、パンランの全地域の学校が休校を決め、学生と仏教徒が一斉に蜂起した。「ベトナム政府は民衆虐殺を直ちに中断せよ!」「タイハンはベトナムから出ていけ!」という絶叫がパンラン全体を覆いつくし、僧侶の遺体は12日後になって、ようやく火葬することができた。


 このように鬼畜の韓国軍は宗教施設にまで乱入し、大した理由もなく恐るべき蛮行をはたらいていたことがわかる。非戦闘員を虐殺し、女性を強姦し、遺体を焼いたり耳を切り取ったり・・・歴史的事実がばれかけると、札束でベトナム人の口を塞ぎ、真実を隠蔽・糊塗・捏造する・・・これが「韓流」などと称して日本の中年女性をたぶらかしている韓国人の仮面の下の素顔なのだ。 

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| gimonshi | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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