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ニューズウィーク(1)
『ニューズウィーク』(日本版、2000年4月12日)には韓国軍によるベトナム人虐殺のレポートが掲載された。「ロン・モロー(バンコク支局長)」という署名入りのこのレポートは、これまで紹介してきた日本人研究者の論著よりも、さらに凄惨な内容である。

 
今から33年前の1967年4月1日。グエン・バン・トイはびくびくしながら、ベトナム中部フーイェン省の水田で働いていた。
 当時、この地域では韓国軍が大規模な作戦を進めていた。韓国兵は農民を力ずくで追い立て、南ベトナム政権の支配下にあった沿岸部に無理やり移住させていた。
 だが、多くの村人は移住を嫌がった。トイのビンスアン村を含む5カ村からなるアンリン郡の農民も、先祖代々の土地を捨てるのは気が進まなかった。
 トイが農作業を続けていると、いきなり機関銃の銃声と手榴弾の爆発音が響いた。音がしたのはビンスアン村の方角。トイはあわてて身を隠し、あたりが暗くなるまで動かなかった。
 村に戻ったトイが目にしたのは、身の毛もよだつ光景だった。家は黒焦げになり、少なくとも15人の村人が血の海に倒れていた。多くの遺体は銃剣で腹を切り裂かれていたと、トイ(71)は言う。
 そのなかには、トイの妻と3人の子供の遺体もあった。生後4日の末の子は母親に抱かれたまま、背中を撃ち抜かれていた。4歳の娘ディエムは銃弾を5発受けていたが、奇跡的に命をとりとめた。 トイは遺体を近くの防空壕に運び、入り口を泥で覆った。ここが、そのまま墓になった。トイも他の村人も、「あまりに悲しすぎて」犠牲者を改葬する気にはなれなかったからだ。


 この虐殺の行われたフーイェン省はクァンガイ省と同じく、ベトナム中部の省である。ちなみに虐殺の行われたのは吉永長生氏が論文で明らかにした虐殺(66年10月)よりも半年ほど後である。
 ここでも韓国軍は「三光作戦」さながらに、老人であれ、婦女子であれ、幼児であれ、無抵抗のベトナム人を手当たり次第に殺戮していたことがわかる。これが日本人の非を声高にあげつらっている韓国人の正体なのである。

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| gimonshi | 20:07 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
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独立記念館 第二弾  第二展示館 「近代民族運動館」からご覧頂きます。 左)プサン建国大学法学部の学生達の旗のように見えます。 右)どこかの旗。 ガイドさんの説明に聞き入る韓国人達。 斥和碑 洋夷が侵入する時、戦わなければ和親する事であり
今だからこそ・・・ 韓国斬り !! | at: 2005/06/27 5:11 PM

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