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慰霊碑でベトナム人を愚弄する韓国人(2)
  『ハンギョレ21』01年04月24日号(第356号)の記事の続きである。

しかしベトナム側の立場は違った。ディエンチュン社人民委員会主席・ウンウェン・バン・ハイ(44)は去る 9月15日の協議過程ではっきりと合意したことは竣工式の日付だけだったと明らかにした。「『虐殺』内容を入れないという約束はした事がない。太極旗と双方の推進委員名簿を刻む事は後ほど不可能だと知らた。住民たちが『虐殺現場に太極旗を刻むことができようか』と強力に反対したからだ。」 碑文内容に関しても住民たちが頑強だったというのがウンウェン・バン・ハイの説明だ。「慰霊碑を建ててくれたことはありがたく思う。しかし碑文内容まで幹渉することは受け入れない。これは我々の歴史で過去であり真実だ。」
それでも金ムング理事長は「碑文から虐殺内容を削除するのが可能なこと」と用心深く述べている。これによって早いうちに竣工式が可能だろうと言う楽観だ。「書信を通じてベトナム側とずっと意見を交換している。碑文に書かれている虐殺内容と『青竜』の名前さえ消してくれれば、すぐ竣工式を行えるというのが私の立場だ。私たちは持続的にハミ村戦争被害者たちと姉妹提携事業を広げるだろう。慰霊碑が障害物になってはならない。」
今度の問題に関して「心より謝罪するつもりがないから問題が起こるしかなかった」というは指摘も出ている。派手な物質的恩恵授与だけ先立たせる場合、ベトナム人たちにもっと大きな傷を残すことがあるということだ。とにかく今度の問題は今後ともずっと続くベトナム戦歴史問題の解決過程に重要な示唆を与えているようである。



 自分たちで虐殺をしておいて、「虐殺という文字を消せ」「下手人の名前を挙げるな」という居丈高な要求までするとは、どこまで面の皮が厚いのだかわからない。自分たちの勝手な歴史観で編纂した教科書に虐殺を載せないのは当然として、ベトナムまで出かけていってベトナム人を恫喝しているのだから、あいた口がふさがらない。

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| gimonshi | 16:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
慰霊碑でベトナム人を愚弄する韓国人(1)
 『ハンギョレ21』01年04月24日号(第356号)は韓国のベトナム戦争参戦者右翼団体がベトナム人に金を与えて慰霊碑を建てるという宣撫工作を行っておきながら、「慰霊碑の文言が気に食わず気分が悪い」という理由で竣工式に参加していないというあきれ返った事態を報じている。

韓国参戦軍人たちの支援で建てられたハミ村の慰霊碑。前面に「1968年に虐殺された135人の同胞を称える」という大きい字の下に犠牲者名簿が書かれている。

 
参戦軍人たちが作ってくれたハミ村の慰霊碑「碑文内容脩正しなければ竣工式できない」
 
 クアンナム省ディエンバン県ディエンチュン社ハミ村。ポンニ・ポンノッ村から乗用車で1時間ほどかかるこの村では1968年2月25日青竜部隊の兵士によって民間人135人が虐殺されたと言う。越南参戦戦友福祉(理事長・金ムング)の会員30あまりは昨年5月2日、この地を問して現地住民たちと一緒に「慰霊碑起工式」を行った事がある。これはベトナム戦争終結後はじめてあったことだ。また慰霊碑が建てられた場所は、集団虐殺が行われたまさにその場所でもあった。越南参戦戦友福祉会は慰霊碑の建立金額2万5千ドルを手渡し、住民たちは真心からの感謝の気持で肯定的に回答した。
 それから1年がたった。工事は順調に進み、昨年11月に竣工した。乗用車が入れるように進入路を整備し、地中に散らばっている犠牲者たちの遺骨を納めて共同墓地を作ったりした。しかし完成してから6ヶ月がたっても参戦軍人たちとともに開催することになったいた竣工式は行われていない。

問題の発端は慰霊碑裏に書かれた次のような碑文内容のためだった。

「1968年旧暦1月24日、青竜部隊は狂ったように群がって来て人々を集めておいて虐殺した。村は地の赤で覆われ、砂と骨は混じりあい家は燃えた。(中略)しかしもう過去戦争の苦痛は癒されていっている。私たちに恨みを催したタイハン(大韓のベトナム語読み─引用者)はここを尋ねお詫びをした。(中略)地に埋まった魂が安らかに眠ることを祈る。」

金ムング理事長は「最初の約束を破った」と述べた。昨年9月15日、慰霊碑建立の合意にあたって「虐殺に関する碑文」は 設計図面になかったというのだ。「名称を『和解の塔』にする事にして、前面に太極旗とベトナム国旗を銅版で並べて刻む事にした」。そして後面には両国の推進委員の名前を5人ずつ彫る事にしてサインした」。彼は「住民虐殺を落ち着かせるために塔を建てたが、住民虐殺が書いてあれば気持ちがいいのか」と聞き返した。


 つまり、この韓国の右翼団体はベトナム人に金を与えて慰霊碑を立てさせ、自分たちがやらかした虐殺の悪行を稀釈しようという悪辣なたくらみをもってベトナムに行ったのだが、ベトナム人が自分たちの思い通りに癒されないといって、「気分が悪い」と罵倒しているのである。
 自分たちが押しかけていって住民虐殺しておきながら、それを指摘されるや「気分が悪い」である。いったい何のための慰霊碑なのか。虐殺の慰霊碑ではないのか。この右翼団体の韓国人の腹黒い底意が透けて見えるような事件である。

これが口さえ開けば日本に謝罪と補償を要求している正義漢・韓国人のもうひとつの姿なのである。
 
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| gimonshi | 11:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ新聞(00年4月18日)
 00年4月18日付けの「ハンギョレ新聞」は次のような事実を報じている。

 
キム氏は非武裝ベトナム人29人集団射殺に關して「山の洞窟捜索過程で彼等を逮捕したが武器を見つけることができず、最初南ベトナム軍捕虜審問所に渡す計画だった」「しかし大隊からベトコン軍の待ち伏せにあった隣接の6中隊を救出しろという緊急指示が入り,それ以上連れて行かずに全員射殺した」と付け加えた。

 ベトナム戦争当時の韓国軍による住民虐殺に對しては、その間、ベトナム現地被害者と家族たちの証言が続いたが、韓国軍参戦軍人の証言によって具体的に確認されたのは、今度が初めてだ。キム氏はまた「ある村で40∼50人ほどの住民を集めておいてから、全員集団射殺した事件もあった」「当時、私は中隊所属の兵士たちに『助けてやれ』と言ったが、残っていた部隊員たちがこの指示を聞かなかった」と明らかにした。

 キム氏はこのような殺傷内容を上部に全く報告しなかったと明らかにした。

 一方『ハンギョレ21』はキム氏の証言によってベトナム現地取材をした結果、当時の住民らが被害を被った地域がクァンガイ·ソンティン県プクビン村一帯であり、現地の住民たちの証言とキム氏の告白が一致することを確認した。

 キム氏は海軍士官学校14期出身で、66年10月から67年11月まで、1年間ベトナム戦争に參加し、その後海兵第1師団派越特殊教育隊教官、金浦保安部隊長,海軍諜報部隊長、国防省大スパイ本部情報課長などを歷任。82年,大佐で転役した。


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| gimonshi | 15:41 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ新聞(00年4月18日)
 00年4月18日付けの「ハンギョレ新聞」は次のような事実を報じている。
 
 
韓国軍, ベトナム民間人虐殺は事実

 ベトナム戦争当時、韓国軍による集団住民虐殺が事実であることを立証する当時の参戦将校の証言が初めて出た。海兵青龍旅団第2大隊7中隊長としてベトナム戦争に參加したキム・ギテ(65・予備役大佐)氏は4月18日発行された時事週刊誌『ハンギョレ21』及び「ハンギョレ新聞」とのインタビューで「去る66年11月14日ベトナム中部地域クァンガイ省・ソンティン県地域でベトコン探索掃討作戰を遂行中、20〜5歳位の非武裝青年29人を後送する過程で爆弾の待避壕に入れて全員皆射殺するなど集団虐殺がなされた」と証言した。
 金氏は「この事件は66年11月9日から14日までソンティン県地域を中心に行われたベトコン掃討作戦(「龍顔作戦」) 過程で起きた」と述べ、「同じ月の10日、民間人村落に侵入する過程で軽微な射撃を受け、そこに居住していた婦女子と老人たち数十人を射殺して家屋を皆燃やした事件もあった」と明らかにした。


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| gimonshi | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ新聞社の偽善
 『ハンギョレ21』は従軍慰安婦問題と韓国軍によるベトナム軍虐殺を無理やり結びつけ、日本人が自国を批判しないように必死になって予防線を張っている。

事実、筆者はつい最近まで日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府や社会の雰囲気に対し解けることのない、いくつかの疑問を持っていた。なかでも一つが戦争の加害者として日本政府がどうして堂々と自分の過ちを認めることができないのかという点だった。この疑問に対して今日の日本社会は何種類かの返答をしている。ユネスコが指定した世界文化遺産である原爆ドームと広島平和記念資料官を含む、幾多の日本の平和記念館のどこにも日本が戦争の加害者という事実を明確にしたところはない。むしろ被害者という歴史認識だけ助長されていることが今日の日本の現実だ。このような歴史認識と偏った社会構造の中で日本の保守右翼勢力の論理はそのレベルをすでに越え、戦争に対する解釈も彼らの方式で美化・歪曲されている。日本社会を支配している保守右翼の論理の中でベトナム戦争当時、韓国軍が犯した犯罪に対する責任論が出ているのもこのような脈絡によるものだ。言わば、「戦争には常に罪のない犠牲者が出るものと決まっている。韓国もベトナム戦争で似たような犯罪を犯しているではないか。韓国も謝罪や賠償などいかなる措置を取っていないのに、日本政府に戦争責任を認めろと主張することができるのか」という論理も軍「慰安婦」問題に対する真実糾明作業を回避するための兔罪符として日本社会に受け入れられている。

彼らと一緒に仲直りと容赦の実践を

ひょっとすると軍「慰安婦」のハルモニたちは戦争による人権侵害の最大の被害者だ。そのようなハルモニたふが自分たちの過去を明らかにして二度とあのような戦争が繰り返されてはいけないという考えを信念のように持っているから、我々は彼女らの生き方に照らして、この地球上で起っているいかなる形態の戦争犯罪に対しても目を閉じてはいけないだろう。同じく過去に我々がやったベトナム戦争での罪のない住民の虐殺とライタイハンを量産した戦争犯罪に対する歴史的責任を私たち自らすすんで懺悔し許しを乞おうとする努力が先行しなかったら、この地に実現しようとするデモクラシーと人権、平和は遥かに遠いとしか言えない。これから「ナヌムの家」でもベトナムの虐殺された罪のない住民と被害者に和解と許しの実践をするだろう。持続的な関心を持って彼らの痛みを分かち合う計画である。戦争の犠牲者であるお婆さんたちもこの意味に賛同している。我々すべてが関心を持たなければならない時である。



 「幾多の日本の平和記念館のどこにも日本が戦争の加害者という事実を明確にしたところはない。」などというが日本のこの種の記念館を全部調べてから書いているのか。「ベトナム戦争における韓国軍の住民虐殺も軍『慰安婦』問題に対する真実糾明作業を回避するための兔罪符として日本社会に受け入れられている」というが、「慰安婦問題」を「韓国軍の住民虐殺」に無理やり結びつけ、日本を糾弾する手段として利用しているのはハンギョレ新聞社ではないのか。韓国政府はベトナム戦争における自国軍の蛮行に対する謝罪も補償も真相究明を行っていない。日本人からも批判されて当然だろう。ハンギョレ新聞社は自分たちが批判される立場になるや、まったく関係ない慰安婦問題を引っ張り出して、「日本も同じなのだ」と自己を慰労しているのだ。

 ハンギョレ新聞社は日本政府を糾弾する前に、自国の政府を糾弾せよ!!

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| gimonshi | 13:08 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21・285号
韓国の時事週刊誌『ハンギョレ21』(285号)は韓国の小説化がベトナム戦争における韓国人の蛮行に関する小説を発表したという記事を掲載している。以下に引用するのは韓国人によるベトナム人虐殺を告発する小説を書いたベトナム人小説家がハンギョレ21記者に送った手紙の内容である。 



この村で家族全員が無事だったのはルン氏の家だけです。彼はこの虐殺を最初から最後まで全部目撃したのです。当時一歳にもなっていなかったレディンモンは彼の母親がバナナの林の中に隠しておいてやっと一命をとりとめました。いつのまにか孤児として生きなければならなかったモンが31歳の青年になりました。今も毎年正月13日になるとポンニ村とポン村が一緒に祭祀を執り行ないます。戦争では常に何か失なわれるものがあります。しかし一体住民らがどんな罪を犯したと言うんですか。
毎日韓国ドラマを見ながら、私は理想を追い求めて他人のために自分を犠牲することができる韓国の青年たちにあこがれて来ました。しかしその青年たちはところで自分の父や兄の世代が私の故郷の住民らをまるで中世や古代にしかあり得ない残忍な方法で虐殺した事実を知っているのでしょうか。韓国は日本に過去の戦争に対して謝罪し補償することを要求しています。そしてアメリカにも枯葉剤被害者とノグン里事件被害者たちに謝罪し補償することを要求しています。それなら、我が郷土のディエンバン県ディエンタン社と中部地方の各省の随所で起った虐殺に対しては誰が謝罪するのですか。誰が補償をするのですか。あの日の同盟軍、あの日のあの人々は、自分たちの手によって無惨にも殺された霊魂のために謝罪し、何かしなければならないと考えて見た事があるのでしょうか。
私と私の村の人々はあの日殺された人々とその家族に対して生き残った者としての責任を果たそうと努力しています。私は韓国の参戦軍人たちとその子孫の責任の一部を分け合うことができることを、そして私たちが真に和解できることを希望します。


 この記事が出てからすでに5年以上の歳月が経過しているが、韓国政府が「謝罪」したとも「補償」したとも聞いていない。ベトナム人作家も書いているが、日本に対する謝罪や補償を求めながら、ベトナム人に対する謝罪や補償は一切行わないという破廉恥な鉄面皮ぶり、二重人格者ぶりである。彼らはベトナムに低俗な韓流映画を輸出して金儲けをすることには関心があっても、「謝罪」や「補償」には一切関心がないのである。ベトナム人作家は「(韓国の)青年たちはところで自分の父や兄の世代が私の故郷の住民らをまるで中世や古代にしかあり得ない残忍な方法で虐殺した事実を知っているのでしょうか」と書いているが、韓国人どもがそんなことを学校で教えるわけはないだろう。繰り返して言うが、未だ韓国では虐殺者が「英雄」であり、侵略戦争が「聖戦」なのである韓国人にとって「謝罪」や「補償」は他人のすることであり、自分のすることではないのである。

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| gimonshi | 12:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21・285号
 韓国の時事週刊誌『ハンギョレ21』(285号)は韓国の小説化がベトナム戦争における韓国人の蛮行に関する小説を発表したという記事を掲載している。「ベトナム作家の見た民衆虐殺」と題するレポートを全文翻訳掲載する。以下に引用するのはベトナム人小説家がハンギョレ21記者に送った手紙の内容である。 

次に掲げるのは彼が送ってくれた手紙の全文である。
ダナンから南に約20kmほど、ビンディエン村とディエンタン社(県の下の行政単位。行政村─引用者)の間の国道1号線から眺めれば、野原に一本だけ立っている大きなアキグミの木が目に入ってきます。まさにここで今から31年前、米軍のミルライ住民虐殺と比べてその規模や程度で決して劣らない、まさに驚愕に値する住民虐殺があったという事実を知っている人は多くありません。1968年1月14日(旧暦)、ホイアン駐屯の青竜旅団所属の1個中隊がクァンド省(現在のクァングナム省)ディエンアン社ポンニ村ロプナム部落に押しかけてきて、ベトコンかどうかの確認もなしに壕を捜索して手榴弾を投げこみ、家さえ見れば火をつけて子供、婦女子、老人を問わず、人さえ見れば銃で撃った後、腹を割って膓を取り出し死体を火の中に投げこみました。彼らはまた一部の女性と子供達を1ヶ所に集めた後、集団虐殺を行ないました。そのようにして100人に近い人々が殺されました。ポンニ村とポン村は火と血に彩られました。
完全な姿をしている死体は一つもありませんでした。家族や知人でも死体を見分けることができなかったでしょう。悲憤にかられた付近の村の住民たちは死体を担いで(韓国軍の─引用者)警戒所に押しかけました。家はすっかり焼けて灰しか残らず、死体を包む毛布もハンモックもありませんでした。箱と竹かご、うつわなどにバラバラになった死体を拾い集めました。韓国の兵隊たちは警戒所の門にかんぬきを差して防ぎましたが、住民たちはコンチョイダオからウンオクタムまで国道1号線の両側に1キロ以上にわたって死体を並べました。



 「壕に手榴弾を投げ込む」「婦女子を撃って腹を割き腸を取り出す」「火をつける」・・・お決まりの韓国軍の虐殺スタイルである。「青龍」という具体的な旅団名が出ていることは貴重である。こうした鬼畜の所業をおこなった韓国人どもは今も韓国で「勇士」などと奉られ、ベトナム民衆の苦しみをよそにのうのうと暮らしているのである。

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| gimonshi | 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21・285号
 韓国の時事週刊誌『ハンギョレ21』(285号)は韓国の小説化がベトナム戦争における韓国人の蛮行に関する小説を発表したという記事を掲載している。「ベトナム作家の見た民衆虐殺」と題するレポートを全文翻訳掲載する。


 
去る10月3日、ベトナムの『若い文芸』40号にはウンウェンハンチュンの短編小説「韓国からの手紙」が載せられた。「韓国からの手紙」はベトナムでの韓国軍ベトナム民衆虐殺事件を小説化した最初の作品だと言える。この小説の著者・ウンウェンハンチュンは「たとえ小説という形式を借りたりしたが、自分の故郷であった実際の事件と人物の話」と明らかにした。小説の中の「私」は大学1年生の時、同じ学科の女子学生である「サン」と愛に陥る。「サン」は31年前、「私」の故郷で起きた民衆虐殺に参加した韓国兵士の娘だ。「私はあなたの家族、親戚、隣人を殺した者の娘です。あなたに敢えて許しを求めることができません」2年生の夏休みに韓国に帰った「サン」は「私」に便せん20枚あまりに達する長文の手紙を送る。その手紙には悔恨と苦痛でいっぱいになった父親の日記帳が一緒に紹介されている。「私は韓国各地を回って、すべての人々に私の父の世代があなたの故郷とベトナムでやったことを知らせ、その罪過に対して責任を負うように訴えます」と。
しかし、「私」はベトナムが「過去を閉じて未来に向けた」 その瞬間から「サン」を永遠に失ってしまう。
 この小説の著者なウンウェンハンチュンは韓国軍の民衆虐殺地域であるクァンナム省ディエンバン県・パンチュチン中学校の教師でもある。彼もやはりディエンバン県の民衆虐殺事件で祖父、祖母、父と叔母、叔父、弟(妹)と従弟などを失った。彼は前でも「韓国人たちと全人類に『20世紀の野蛮』を広く知らせるために自分の故郷だけではなくハミの良民虐殺、トゥイボ民衆虐殺など付近の村の韓国軍民衆虐殺を告発する小説をずっと書いて行く」と自分の意志を明らかにした。



 小説では韓国人の女が「私は韓国各地を回って、すべての人々に私の父の世代があなたの故郷とベトナムでやったことを知らせ、その罪過に対して責任を負うように訴えます」と述べたことになっているが、これはベトナム人作家の淡い願望にすぎない。韓国でそんなことをすれば、たちまち「派越勇士」とかいうベトナム帰還兵の極右組織から集中攻撃を受けることは目に見えている。韓国では未だ虐殺者が英雄なのだ。ウンウェンハンチュンもベトナム政府も韓国人どもにそんな甘い期待をかけるのはやめて、韓国大使館の前で韓国の国旗でも焼きながら、直接糾弾したほうが効果的だろう。

 真相究明に逡巡するベトナム政府は韓国人の蛮行を明らかにせよ!!
| gimonshi | 17:36 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |

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