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亀山旭『ベトナム戦争』(8)
 亀山旭氏は韓国のベトナム派兵についてこう総括している。

 ・・・ベトナム人は誇り高い民族である。彼らは韓国軍がアメリカの要求で、しかもわずかな経済援助と引き換えにベトナムにやって来たのに、反共十字軍といった気負った「正義感」であたかも自分たちの大事な戦争だといった風に戦い、行動していることに強い反発を感じていた。あるサイゴンのジャーナリストは「かいらいのくせに主役を演じようとしている」といった。(120ページ)

 ・・・ベトナム派兵によって韓国が受けた経済的利益はそれなりにあったであろう。1964年に初めて1億ドルを超えた輸出額は69年には6億ドルに達した。64年、一人当たり国民所得は100ドル程度に過ぎなかったが、これも150ドルを超えた。ソウルはビルラッシュとなり華やかさを増した。
 だが、その反面、派兵によって失われたものがいかに大きかったか。米軍は軍事的勝利をあきらめて撤退を開始し、72年には陸上部隊のほぼ全部が南ベトナムから姿を消す。韓国の青竜師団もまた撤退を決めたが、いずれは猛虎、白馬の両師団もベトナムから撤収することになろう。ベトナム戦争は近い将来、政治解決が行われるだろう。そしてその解決は韓国にとって不面目な形となるのではないか。・・・(中略)韓国がなぜベトナムに軍隊を派遣し、たくさんのベトナム人を殺し、また自らも血を流す必要があったのか。朴政権の民族的責任は大きい。

 韓国はベトナム人の心を失った。他国へ軍隊を派遣し、他民族を殺したことの代償は日本人が36年の朝鮮支配という民族的責任から逃れることができないように、韓国人自らが支払わなければならないであろう。(140〜141ページ)

 以上で亀山旭『ベトナム戦争』からの引用を終わる。『ベトナム戦争』からの資料は「亀山旭『ベトナム戦争』」というカテゴリにまとめておくので、ご参照いただきたい。

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| gimonshi | 07:48 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(7)
 亀山旭氏は韓国軍と共にベトナムに来ていた民間人の醜態についても言及している。

 南ベトナムには韓国軍のほかに67、8年には2万近い韓国の民間人が出かせぎに着ていた。サイゴンの街頭ではカメラを下げた韓国人の姿を間断なく見ることができる。RMKなど米国系の建設会社で働く韓国人も多い。高級クラブから売春バーにいたるまで韓国人の客でにぎわっていた。またタンソンニュット空軍基地内にあるゴルフ・クラブの会員数は米国人に次いで韓国人が2位だった。韓国人にとって南ベトナムは初めての海外進出の舞台だった。
 65、6年ごろ、韓国人はバーやレストランでよく日本語を使っていた。日本人ならテロに狙われることもなく、また韓国人よりはベトナム人の受けがよいと考えたからであろう。しかし67年ごろからはそんな「卑屈な」韓国人はいなくなった。
 ・・・(中略)私は68年5月、パリ会談を取材したあと、再びサイゴンを訪れたが、数ヶ月前のテト攻勢にもかかわらず韓国人の進出は飛躍的に増えていた。タイやシンガポールなど東南アジアでは「エコノミック・アニマル」とか「醜い日本人」の問題が出ていたが、サイゴンでは日本人以上に韓国人が「攻撃目標」とされていた。 
 サイゴンでは68年1月のテト攻勢いらい非常事態ということでダンスが禁じられていたが、韓国人専用の秘密クラブではダンスをすることができた。相手のホステスはすべてベトナム人。入り口に看板も標識もなく、ただ手榴弾よけの金網が張ってあって、ベトナム人の警官が警備に当たっている。このクラブの上はやはり韓国人経営のトルコぶろで、マッサージ・ガールはそのまま売春婦になる。このようないかがわしい職業で金もうけに狂奔する韓国人も多く、また韓国人兵士たちと異なり、女性関係のいざこざも多かったようだ。(135〜137ページ)

この度、韓国疑問史糾明委員会は韓国関連の著名ブログ「今だから・・・韓国斬り!!」と相互リンクを行った。また、「人気Blogランキング」に登録を行った。「Links」の「人気Blogランキング」をクリックして韓国・韓国人によるベトナム人虐殺を糾弾しよう!
| gimonshi | 08:50 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(6)
 亀山旭氏は当時、韓国兵がいかにベトナムで嫌われていたかについて次のように記している。

 サイゴンの中心街、グエンフエ通りから横に入った一角にBというバーがある。サイゴンのどこにでもある、朝からアオザイ姿でやミニの娘たちがかしましい声を立てながら米兵を待っているといった当時のサイゴンではありふれた店の一つであった。・・・(中略)店のボックスではまだ童顔の韓国兵がアオザイを着た小がらなホステスとベトナムのビールを飲んでいた。彼の前の止まり木には戦闘服のままM16ライフルをカウンターに置いた米兵が酒を飲んでいたが、そのうちひょいと彼女を抱き上げて自分の横に座らせてしまった。この強引な「略奪」に、きまじめそうなその韓国兵はかなり上手な英語でしきりに抗議していたが、そのうち振り向いた米兵にあっという間になぐり倒されてしまった。起き上がった韓国兵をこんどは数人の米兵がなぐる、蹴るの暴行を加えて、店の外にほうり出してしまった。韓国兵は、泥まみれのまま再び店に入ってきて、悔し泣きに泣きながら訴え始めた。「私は何も悪いことはしなかった。こんなひどい仕打ちがあるか。米兵の皆さん、あなた方も見ていただろう。どっちが悪いのか」−。
 ・・・(中略)米軍と韓国軍のMPがやって来た。そして彼はこの韓国のMPになだめられて抱きかかえられるように店を出て行った。
 ホステスの取りあいなら米兵どうしにもあろうし、別に取り立てていうこともない。しかし私にとってそのとき不可解だったのは店にいた20人ばかりのホステスの態度であった。明らかに非は米兵にあり、彼女たちは事件の経過を見ていたはずであった。しかし彼女たちは切々と訴える韓国兵を口々にののしり、彼が出て行くと喚声を上げたのである。ほとんど絶叫に近かった彼の訴えの意味がたとえ理解できなくても、韓国兵は同情されてよいはずだった。しかし彼女たちが示したのは敵意と嘲笑だった。私の横にいたホステスの一人は「何も韓国兵がベトナム人を殺しに、朝鮮からやって来ることはない」と冷ややかにいいのけた。彼女たちの多くは、デルタ地帯や韓国兵が戦っている中部からの難民であった。(118〜119ページ)

 亀山旭氏は、この事件を「1966年の多分9月末か10月初めだったと思う」と記している。そして当時の南ベトナムにおける韓国のイメージがどのようなものだったかを述べている。

 この事件はベトナム人に韓国に対する感情を知るうえで象徴的な事件のように思われる。・・・(中略)解放戦線に近い人は当然だとしても、学生も仏教徒も反共の政治家も、そしてバーのホステスにいたるまで、韓国と韓国兵を嫌った。彼らがどんなに勇敢に戦い、学校を建て、寺を復旧させ、道路を建設しても、ベトナム人が心からそれを受け入れることはなかった。(120ページ)
 
| gimonshi | 04:37 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(5)
 亀山旭氏はベトナムにおける韓国軍の士気が高いことをあげ、これがベトナム人の憎しみを買っていると指摘している。
 
 ・・・色の違う米軍に殺されるのと、同じアジア人で、ドルのためにやって来た(彼らはそう信じている)韓国軍に殺されるのをベトナム人は区別する。韓国軍はヘリコプターや火器に依存する米軍を臆病だといい、政府軍は戦意がないとけなす。そして猛虎師団は「べトコンにはベトコン戦法」というわけで、わずか10ヶ月の間に1万1000回の待ち伏せ攻撃をした。また兵士たちは洞窟の中にも飛びこんで、その中にひそむベトナム人を刺し殺す。一部の韓国の特派員たちは本国の新聞にこうした韓国軍を「神出鬼没」とたたえ、その武勇伝を大きく載せる。
 ・・・(中略)こうした状況のなかで気負い立った正義感やひとりよがりの使命感で戦う韓国軍は、ベトナム人にとって迷惑というより、憎しみの対象だったといえる。韓国軍の戦いぶりは悪意をもって南ベトナム全土に広がっていった。私はサイゴンのベトナム人に、その戦いぶりはともかく、韓国軍の規律はきわめて厳格だと弁護したことがある。しかしベトナム人たちはあなたは一部を見ただけか、あるいは韓国側の宣伝に乗ったのだと言って譲らなかった。あるベトナム人記者は私が韓国軍も訪問するといったら、約束していた地方旅行への同行を断った。解放放送が韓国軍の残虐行為について述べると、ふだんは「共産側の宣伝」だと言って放送を信用しない反共の人たちでも素直にそれを信じるのだった。(131〜133ページ)

 ここで言う「気負い立った正義感やひとりよがりの使命感」とは「自由主義陣営国家の一員としてインドシナ半島の共産化を防がなければならない」という冷戦当時の国際認識を言うのである。
| gimonshi | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(4)
 亀山旭氏はさらに韓国軍の姑息な宣撫工作について記述している。

 ・・・あるときは猛虎師団の一兵士が村の娘を強姦した。韓国には一罰百戒といって、ある者をきつく罰して他のいましめとするといった習慣があるが、軍法会議はこの兵士に死刑を求刑した。死刑とはあまりに酷ではないかというので、韓国のジャーナリズムも騒ぎ出し、結局終身刑になったと記憶している。一般的な韓国軍の規律はサイゴン政府軍はもとより、米軍を含む同盟国軍隊の中でもっともきびしいだろう。ある韓国軍の兵士はベトナム人の娘に子供を作ったまま帰国してしまった。これを知った韓国軍司令部は本国に連絡して、再志願のかたちで再び彼をベトナムにもどし、強制的に結婚式を挙げさせ、ベトナムの新聞を賑わした。(127ページ)

 実はベトナムには「ライタイハン」(「タイハン」とは「大韓」のこと)といって韓国人が現地で作って置き去りにした孤児が大勢いる。韓国人は「現地に出稼ぎに出た韓国人が作ったもの」などと言って、韓国軍が「子作り」に関与したことを隠蔽しようとする。出稼ぎ労働者がやったなら「民間」の問題だが、韓国軍兵士が関与していたとなると「国家」の問題になり、国の威信に傷がつくとでも思っているのだろう。また、韓国の代表的な極右・国粋主義団体の中に「ベトナム派遣兵(帰還兵)の団体」があり、うかつなことを言うと彼らに襲撃されかねないからである。
 それにしても現地で子供作って責任も取らず帰国するような男とベトナム人女性を結婚させて、うまくいくと思ったのだろうか。まことに軍隊的な単純発想による「宣撫工作」ではある。
| gimonshi | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(3)
 さらに亀山旭氏は無辜のベトナム人を虐殺した韓国軍が自らの悪行を糊塗・隠蔽するため姑息な宣撫工作を行っていたという事実を明らかにしている。

 作戦が終わり農村を支配すると、韓国軍は住民工作に力を注いだ。学校を建てたり、橋を作ったり、ときには寺院の改修工事を手伝ったり、感慨のために小さなダムを作って農民に与えたたこともあった。難民たちには残飯を与え、医療班は無料で手当てをし、映画会や敬老会もしばしば開かれていた。韓国軍の駐屯地近くを行くと、私を韓国人と思って子供たちは「アンニョン、ハシムニカ」と声をかける。韓国語で「今日は」という意味だ。子供たちと戯れている韓国兵の姿を見たこともしばしばだった。

 ・・・(中略)韓国軍の広報参謀たちは、同じアジア人であり、朝鮮戦争を体験している韓国人はベトナム人の苦しみを理解できるし、米軍とは異なって民心をつかむことができると主張していた。韓国の言論人にもそのように信じていた人が多かったのではあるまいか。・・・(中略)しかしこれは逆であった。同じアジア人であり、同じ宗教を持ち、同じように南北が分断され、同胞あい戦うことの悲しみと苦しみを知っているはずの韓国がなぜ兵隊を送って、ベトナム人を殺すのかというのがベトナム人の心情である。米軍のやっていることにはたとえ耐えることができても、同じ韓国軍の行為を彼らは許しはしない。どれだけ宣撫工作に力を入れても、韓国軍は農民の心をつかむことはできなかったのではないだろうか。(124〜128ページ)
| gimonshi | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(2)
 亀山旭『ベトナム戦争』(岩波新書、1972年)からの引用。共同通信記者・亀山旭氏は66年8月に訪れた猛虎師団の司令部で韓国軍による住民虐殺について聞きただしている。

 ・・・(猛虎師団の)M参謀は「やつら(ベトナム人−引用者)の部落を攻撃する場合、発砲があればその部落を壊滅させるのはゲリラ戦の基本だ」といった。・・・(中略)また反共精神の横溢したある大尉は平定状況を説明した後、住民を殺したことはある、しかしそれは水牛を引いた女たちや子供たちの後にはいつも解放戦線のゲリラが続いているからだと主張した。「2、30メートルまで引き寄せて一斉射撃する。かわいそうだが止むを得ない。」といい切った。
 猛虎師団は先遣隊が到着した65年10月から翌年の7月までに30キロ平方の地域を平定したが、この間2600人を殺し、600人を捕虜にした。この間韓国軍の損害は190人に過ぎなかった。(122〜123ページ)

 この当時、すでに韓国軍は平定作戦を口実に無辜のベトナム人を虐殺していたことを公式に認めていたのである。
| gimonshi | 08:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
亀山旭『ベトナム戦争』(1)
 ベトナムにおける韓国軍の蛮行を知るのに最も手っ取り早い方法は日本で公刊されている資料に当たることであろう。何しろベトナム戦争当時は朴政権下で派兵に批判的な報道は一切できなかったし、現在も韓国ではベトナム戦争における虐殺に触れることはタブーなのである。ゆえに韓国では韓国軍の蛮行に触れた資料はきわめて入手しずらい。
 本委員会はベトナム戦争終結前に「猛虎部隊」を取材した元共同通信記者・亀山旭の『ベトナム戦争』(岩波新書・1972年)を入手した。韓国軍の悪行を伝える資料として極めて重要なものである。主要部分を要約してみる。

 私が数人の日本人記者と初めてビンディン県の猛虎師団を訪れたのは66年8月だったが・・・(中略)このときすでに韓国軍の戦いぶりがベトナム人の間で評判になっていた。韓国軍は解放戦線支配下の村落を攻撃するとき、住民もいっしょに殺すとか、娘たちはみんな暴行されたとか、韓国軍得意の待ち伏せ攻撃で、無実の住民が多数殺されたという話がなかば公然とささやかれていた。解放戦線の放送もまた韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていた。(122ページ)
| gimonshi | 08:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
韓国軍の派兵について
 ベトナム戦争と言えばアメリカと北ベトナム(ベトナム民主共和国・南ベトナム解放戦線)の戦争だと思っている向きが多いようである。しかし、ベトナム戦争において南ベトナム(南ベトナム共和国)を支援するために派兵を行った国はアメリカだけではない。韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランドなども派兵を行っている。

 特に韓国は65年に本格的なベトナム派兵に踏み出し、73年まで青竜・猛虎・白馬部隊を中心に述べ40万人に上る兵力を派兵した。派兵に加えて建設・運輸に従事する労働者・技術者や軍事物資を扱う商社なども大々的に送り込んだ。このベトナム派兵は韓国に大きな経済的利益をもたらした。兵士の給与送金、派遣労働者の賃金送金、商社の収入などを合わせて1966年〜72年の7年間に約10億ドルの外貨を提供し、韓国の国際収支赤字を改善させるとともに、「ベトナム特需」と呼ばれる経済的活況をもたらした。

 なお、一般の韓国人が日本人の前でベトナム戦争により韓国経済が恩恵を受けたということを認めることは、まずない。その理由は二つある。まず韓国人は「日本は朝鮮戦争において、火事場泥棒的な巨利を貪り経済大国に成りあがった」と批判している手前、自国がベトナム戦争で利益を上げたと認めにくいのである。また「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の経済発展がすべて韓国の自助努力によるものだと主張したいためでもある。
| gimonshi | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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