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本多勝一の欺瞞
 進歩派ジャーナリストの教祖的存在である本田勝一であるが、ベトナム戦争当時、虐殺・放火・強姦など鬼畜の所業を繰り広げていた韓国軍の招きに乗って、残虐な韓国軍を賞賛する提灯記事を書いていたことはあまり知られていない。このことについては、すでに当研究会によって明らかにされた次第がある。

 http://gimonshi.jugem.jp/?day=20050712

 2000年3月17日付けの『週刊金曜日』にて本多が当時の盲動を反省するどころか、韓国人の進歩派(つまり反日)ジャーナリズムと結託して、あいも変わらぬ日本批判を繰り広げていることが判明した。『週刊金曜日』の記事を引用しよう。

 
その後の私にとって忘れぬことのできぬ韓国とのかかわりは、1967年のベトナムにおける韓国軍猛虎師団への従軍です。私はベトナム戦争を長期にわたって報道してきました。従軍はアメリカ軍にもベトナム軍(当時の南ベトナム解放戦線)にもしましたが、猛虎師団への従軍にも印象深いものがあります。・・・このときインタビューした師団長・柳炳賢少将や韓国人ジャーナリスト崔仁集などの言葉も紹介しましたが、これらの人々の当時の言葉は、いま読んでも古くなっていないようです。


 当時、本多がインタビューを試みたという猛虎師団の柳少将のコメントは次のとおりだ。
 
 
・・・「あんまりほめてはいけません」と、猛虎師団の柳少将は完璧な日本語でいった−「若い兵隊は人間ですから、決して完璧ではありません。あやまちの例もかなりあります。でも、韓国軍の各兵卒が、おっしゃるように立派だとしたら、それは上からの命令や方針によるものではないと思います。各個人の自覚の問題です。各個人が、共産主義者との戦いの意味を本当に自覚しているのでなければ、この戦争はできません。信念の問題です」
 では、いったいなぜ、こんなにも評判が悪いのだろうか。
「第一に、ベトコンの宣伝です」と師団長は答えた−「後方撹乱戦術です。同盟軍を分裂させようとするもくろみのひとつです。そして第二に嫉妬です」本多勝一『戦場の村』(朝日新聞社、1968年)


 このように本多はまんまと韓国軍の宣伝工作にのせられているばかりか、次のように言い放っているのだ。

 
サイゴンをはじめ、韓国軍占領区以外の南ベトナム全土で、あれほどにも悪評と黒いうわさをきかされる韓国軍は実は一番神経をつかい、最も献身的にベトナム民衆につくしている。ことによると、韓国軍が派兵したばかりのころは、うわさのようなこともあったのかもしれない。あった可能性は高いと思っている。だが、デマと宣伝の充満する戦国で、クチコミによる材料を取材の素材にすることはやめよう。
 

 ベトナム民衆のクチコミを無視し、韓国軍の宣伝のほうを信じようという本多の姿勢は平素の進歩派ぶりとはかけ離れたものである。『週刊金曜日』の記事でもわかるように、今なお本多はこのことを反省していない。しかも自分の非は覆い隠したまま、こんどは韓国人と連帯して彼らの反日活動に同調しようとしているのである。

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| gimonshi | 17:58 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(6)
 『ハンギョレ21』(256号)に掲載されたク・スジョンのレポートの続き。ク・スジョンはレポートを次のように締めくくっている。
 

果たして彼らに真の反省はあるのか。

我々にとってベトナム戦争は忘れたい戦争である。韓国は1964年以降、医療支援団とテコンドー教官など270人余りをサイゴン南方のプンタウに派遣したことによってベトナム戦争に軍事的介入を始めた。その後65年から73年まで、約30万人の戦闘部隊を「ベトナム政府の要請」という名文のもとにベトナム前線に投入した。この過程で韓国軍も4、960人が戦死し、10万人あまりが負傷した。しかし韓国軍もまた敵軍であるベトナム人を4万1、450人も殺す戦勝を収めた。味方の死亡者数の10倍に達する敵軍を戦死させたわけである。それも公式的な統計だけで。いまや戦争は終わった。加害者であれ、被害者であれ、傷付いた「今日」を癒す過程なくしては、我々に未来はないだろう。たとえ、それが良心の刃を突きつける痛みを通してのみ可能になるとしてもだ。歴史は我々に疑問符を一つなげかけている。 果たして彼らに真の反省はあるのか。


 まず、このレポートの評価について述べておきたい。日本の一部(特に進歩派文化人など)ではこのレポートを「韓国人の真摯な反省」などと受け止め、高く評価している。確かに、ベトナム戦争が未だに「聖戦」である韓国において、このようなレポートを発表したのは大きな意義がある。その勇気にも拍手を送りたい。事実、『ハンギョレ21』を発行するハンギョレ新聞社(韓国の代表的な「進歩的」マスコミである)は韓国の極右団体の襲撃を受けているのである。
 しかし、このレポートが「韓国人の真摯な反省」に値するかというと、それは疑問であるといわざるを得ない。韓国人が自ら設定した「反省の基準」は「謝罪と補償」である。すなわち国家元首が直接、過去の罪過に対して率直に謝罪し、被害者に相応の補償を行うことである。少なくとも韓国人は日本人に対してそう要求し続けている。当然、自らしでかした罪過についても同様であろう。ところが韓国人は自らの罪過については、口をぬぐって知らん顔をし、過去二回の大統領のベトナム訪問についても「遺憾の表明」程度でお茶を濁し、虐殺という歴史的事実を教科書に記載せず、病院や学校などハコモノをベトナムに建設することで、ベトナム人を懐柔しようとしているのである。いつの間にか『ハンギョレ21』もそうした欺瞞的なプロパガンダに加担し、現在は真相究明そっちのけで病院建設の資金集めキャンペーンに狂奔している始末なのである。現在『ハンギョレ21』には、毎号のように自ら行っている「ベトナム人懐柔キャンペーン」の「成果」が掲載されている。
 ク・スジョンは「果たして彼らに反省はあるのか」などと他人事のようにレポートを締めくくっている。しかし「彼ら」とは、ク・スジョンを含む韓国人全体ではないのか。

 韓国のマスコミに右も左もない。「アメリカ嫌い・北朝鮮好き」と「北朝鮮嫌い・アメリカ好き」がいるだけである。どちらも極右であり、特に最近は前者が優勢である。そして、どちらも自らの過去の罪過については隠蔽しておきたいのである。自分たちが一方的に日本を非難するためにも。

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| gimonshi | 21:57 | comments(4) | trackbacks(3) | pookmark |
ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(5)
『ハンギョレ21』(256号)に掲載されたク・スジョンのレポートの続き。

このような捜索掃討作戦は一時的に絨毯爆撃などで作戦地域を公開し、韓国軍など地上軍が現場に投入され村に残っている住民達を即決処分した後、家屋を焼き、ブルドーザーなどで村全体を整地してしまう方式で展開された。生存者たちに体する証言で共通している点は、機関銃亂射、大量虐殺、妊婦に対するめった切り殺害、婦女子に対する強姦殺人、家屋放火などである。生存者らの証言を土台に韓国軍の虐殺を整理して見ると、いくつかの共通したパターンが現れた。

 住民たち(大部分女性や老人、子どもたち)を一ヶ所に集めた後、いくつかのグループに分けた後、機関銃を亂射し、皆殺しにした。

 住民たちを一つの家に押し込め、銃を亂射した後、家に放火し、遺体と生存者を焼き殺した。

 子どもたちの頭を割ったり、首を切り、足を切ったり、手足を切断したり、火に投げ入れたりした。

 女性を輪姦した後に殺害し、妊婦の腹を割いて胎児が飛び出すまで軍靴で踏み付けた。

 住民たちを村の洞窟に押し込め、毒ガスを噴射して窒息死させた。

 韓国軍の大量虐殺が行われた所では、子どもたちの口にキャンディーやケーキがついていた。老人たちは口にタバコをくわえている場合が多かった。おそらく村の人々たちを安心させながら、一ヶ所に集めさせる手段だったようだ。


ク・スジョンが分析して見せている結果は、すでに日本人研究者の努力で明らかになった事実ばかりで別段珍しいものではない。当委員会がブログで明らかにしてきた資料にも、同様の蛮行が報告されている。ただ、毒ガス使用のくだりは、これまでの資料になかった新証言である。今後の糾明課題であろう。
 ク・スジョンが列挙している蛮行の数々を読み返してみると、まったく獣の所業としか思えない。憂さ晴らしでやったのか、面白半分でやったのか・・・韓国人の精神状態の分析は精神医学の領域であるとしか言いようがない。
 「ブラザーフッド」など、欺瞞的な韓国戦争映画に魅了されている日本人も、一日も早く正しい歴史認識をもち、韓国人の真の姿に目覚めてほしいところである。

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| gimonshi | 22:25 | comments(4) | trackbacks(1) | pookmark |
ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(4) 猟奇的な韓国軍
 『ハンギョレ21』(256号)に掲載されたク・スジョンのレポートの続き。


 
「ランは出産してから二日後に銃殺された。ランの子どもは軍靴で踏みつけられたまま、血まみれの母親の胸の上に投げ捨てられた、妊娠8ヶ月になったチュクは銃弾が貫通して死亡し、子宮が外にはみ出ていた。韓国の兵士は1歳の子どもを背負っていたチャンも銃殺し、子どもの頭を切り取って地面に投げ捨て、ナムの体はバラバラに刻まれ、ごみ溜めに捨てられた。
そして彼らはまた2歳の子どもの首を折って殺し、一人の子どもの体を木に投げ上げて殺した後、火で焼いた。そして12歳のユンの足を撃って、倒した後、生きたまま火の中に放り込んだ・・・」

パンランで別れた後、二日後にクィニョン市を調査中だった「ナワウリ」一行に電話がかかってきた。「見つけました。当時、タイソン県の人民委員会の主席のことですよ」1966年3月19日と20日の2日間にわたった「ベトナム中部各省の戦争犯罪調査会議」において、韓国の軍隊の罪悪を余すところなく明らかにしたウンウェンタンポンのことを言っているのだ。
「手に持っているこの資料がだんだん恐ろしくなってきました。もしかすると、我々はこの資料をさらに補充しなければならないかもしれません。ビンディン省を中心に、この資料に紹介された4つの地域の他にも、韓国軍の虐殺現場がさらにあると言うのですから。」当時のウンウェンタンポンの報告によれば、66年1月23日から2月26日まで約1ヶ月の間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によって、この地域だけでも1200人の住民が虐殺され、その中でも1人残らず皆殺しにされた世帯が8世帯にもなる。
 また1、535体の遺体と850万トンにのぼる食糧が焼かれ、649匹にのぼる水牛が射殺されたり焼死したりした。
 

 韓国軍の鬼畜ぶり、住民だけではなく食料・家畜に与えた被害を明らかにしている点で、このレポートは貴重である。それはともかく、このレポートに登場する韓国軍の所業については、もはや語る言葉を知らない。精神異常者の猟奇犯罪としか言いようがない。このような精神異常者どもを韓国では「派越勇士」などと誉めそやし、ソウルの「国立顕忠院」とかいう「国家追悼施設」に祀って国家元首や閣僚、外国の元首などを参拝させているのだから、あいた口が塞がらない。靖国神社参拝問題などより、よっぽど深刻な事態である。もちろん歴代の日本の首相も、訪韓の際には、このような戦争犯罪者が祀られている犯罪的施設に参拝しているのである。

 日本の国家指導者は靖国参拝を取りやめる前に、「国立顕忠院」の参拝から取りやめろ!

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| gimonshi | 19:18 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(3) 韓国軍の三光作戦 
 『ハンギョレ21』(256号)に掲載されたク・スジョンのレポートの続き。


 
「火葬をしても僧侶たちを安らかに休ませることはできなかったんです。僧侶たちがいらっしゃる寺がなくなってしまったからです。僧侶たちのお骨を骨壷に入れ、昨年になってやっと、この寺に安置しました。プー僧侶が低い声で言葉を続けた。韓国の兵隊たちの銃器乱射事件で廃虚となった寺は、その後、爆撃を受けて跡形もなく消滅した。そして昨年、仏教徒である在米ベトナム人の助けで、寺は再建された。プー僧侶は30年もたってから住職としてこの寺に戻ってくることができた。寺の横には、当時殺された僧侶たちの遺骨が収められた三重の塔がある。我々の一行はその横で頭を下げ、僧侶たちの冥福を祈った。
もしかすると、我々がリンソン寺で聞かなければならなかった話は、これから聞かなければならない数多くの証言の中で最も楽に聞ける話になるかも知れない。 ・・・(中略)

「女性を輪姦した後、殺害」

韓国軍は残酷な大量虐殺を行い、南ベトナム民族解放戦線(NLF)ですら、できれば直接的な交戦を避けようとする程だったと伝えられる。戦線もなく敵が誰だかも分からないベトナム戦争でベトコンの根拠地を捜索・破壊するという作戦上の名文が、老若男女を問わぬ虐殺行為を正当化してきた。筆者が持っている記録はその内容が非常に凄惨で、詳しく明らかにすることに負担を感じないでもないが、その一部を紹介する。

1965年12月22日、韓国軍作戦兵力2個大隊がビンディン省クィニョン市にあるトゥイプック郡プックホ使(原文ママ─引用者)トンジアン村に500発あまりの大砲を発射した後、「きれいに殺し、きれいに燃やし、きれいに壊す」というスローガンのもと、捜索掃討作戦を行った。彼らはこの村で12歳以下の子ども22人、女性22人、妊婦3人、70歳以上の老人6人を含む50人を超える民衆を虐殺した。

「きれいに殺し、きれいに燃やし、きれいに壊す」・・・旧日本軍の三光作戦そのままである。韓国人は「日本の教科書には侵略という史実が記されていない」(ちゃんと記されているのだが)などと不平不満たらたらなくせに、自分たちがベトナムでしでかしてきた蛮行については、一行たりとも教科書に記載せず、知らん顔をしてすまそうとしているのである。

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| gimonshi | 22:21 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(2)
 『ハンギョレ21』(256号)に掲載されたク・スジョンのレポートの続き。

ベトナム南部の海岸に位置したパンランは観光ガイドブックにも出ていない小さな村である。一番の繁華街であることが明らかなバス停留所にはタクシーが一台も見えず、歩いて訪ねて行ったホテルには、ありふれた冷蔵庫すらなかった。ただ、「ニョクマム(ベトナムの魚醤)の名産地」らしく、生臭い塩気が大地にあふれていた。我々の一行はまずリンソン寺を探しに向った。しかし、資料の中に登場するリンソン寺は戦争中に消滅してしまい、存在しなかった。蒸しぶろのような熱さと、揺れ続けるバスに苦しめられながら、8時間も走ってきた行程が徒勞に終わるのではないかという落胆と共に、一方ではなぜか分からない安堵のため息が漏れた。
次の日の朝、我々の一行をパンランまで案内していたベトナムの学生から緊急の連絡が來た。もともと、ホーチミンからパンランへと入る道ばたに建っていたリンソン寺は戦争中に爆破され、パンランからナチャンへ向う道ばたに同じ名の寺が再建されたということだった。我々は直ちにその寺に向った。そして、そこで当時の唯一の生存者であるプー僧侶(78)と現場の目撃者であるウンウェンティ․ユエンハン(45)に会うことができた。ここまで來る間、ずっと筆者を押さえ付けてきた不安が、否定したかった話が目の前で現実になって現れた。

子どもあれ、妊婦であれ見境なく

「タイハン(「大韓」のベトナム語読み)の兵隊たちが、まず住職に向けて銃を撃ちました。続いて助けてくれと逃げ出す尼僧にも銃を撃ちました。そして死体をすべて焼きました。」 ユエンハンの証言だ。当時、わずか15歳だった彼は恐怖のあまり、叫び声も立てることができず、隠れているだけだったと証言した。リンソン寺は5人の僧侶が居住する小さい寺であった。その時、プー僧侶は住職よりも先に村に降りていき、喪家で読経をしていた。証言の大部分はユエンハンによってなされ、この寺の唯一の生存者であるプー僧侶は無言のままだった。(中略)・・・プー僧侶が村から帰って來たときには、寺は修羅場になっていた。プー僧侶は焼けた5人の遺体を付近のアオバン寺に移した。遺体を持っていかれるかもしれないという不安からだった。このニュースが伝えられるや、パンランの全地域の学校が休校を決め、学生と仏教徒が一斉に蜂起した。「ベトナム政府は民衆虐殺を直ちに中断せよ!」「タイハンはベトナムから出ていけ!」という絶叫がパンラン全体を覆いつくし、僧侶の遺体は12日後になって、ようやく火葬することができた。


 このように鬼畜の韓国軍は宗教施設にまで乱入し、大した理由もなく恐るべき蛮行をはたらいていたことがわかる。非戦闘員を虐殺し、女性を強姦し、遺体を焼いたり耳を切り取ったり・・・歴史的事実がばれかけると、札束でベトナム人の口を塞ぎ、真実を隠蔽・糊塗・捏造する・・・これが「韓流」などと称して日本の中年女性をたぶらかしている韓国人の仮面の下の素顔なのだ。 

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| gimonshi | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ハンギョレ21「ああ震撼の韓国軍」(1)
 これまで当委員会は韓国軍のベトナム人虐殺を記録した日本側の資料を主に紹介してきた。しかし韓国人による独自の調査が行われていないのか、と言えばそうではない。韓国の左翼系新聞社「ハンギョレ新聞」が発行する時事週刊誌『ハンギョレ21』はこの問題に積極的に取り組み、独自の調査を行ってきた。国内では次のサイトで記事が公開されている。

 http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm

 『ハンギョレ21』の取り組みは特筆されるべきではあるが、多くの問題も内包しており、手放しで賞賛することなどできない。この問題がいかなるものであるかについては後に述べることにする。ここでは誤訳が多い上記サイトの記事に頼らず、当委員会が独自に訳出した記事を掲載することにする。なお、上記サイトに公開されている記事以外にも『ハンギョレ21』に掲載されたベトナム虐殺関係の記事が多数あり、当委員会では入手次第、訳出し、紹介してゆくことにする。
 『ハンギョレ21』99年5月6日号(256号)には「ああ, 震撼の韓国軍! 」と題する次のような記事が掲載された。

 
ベトナム戦24周年にして見た、私たちの恥部、ベトナム戦犯調査委のおぞましい記録

 ・・・(前略)1969年10月14日、ベトナム南部、パンラン地域で韓国の軍人らがリンソン(Linh Son)寺の僧侶らに銃器を振り回すという事件が発生した。サイゴンの報告によれば韓国軍1人がリンソン寺でベトナム女性をからかったことで住職に追い出されるや、これに憤激し、同僚とともに押し掛け、銃器を乱射したことが明らかになった。AFP通信はこの事件で71歳の住職、69歳の尼僧、41歳の尼僧、15歳の修行僧など4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報じた。(『人民軍隊』誌、1969年10月24日)

筆者(この記事を書いたク・スジョン特派員─引用者)は2年前、ベトナム政治局がまとめた『戦争犯罪調査報告書─南ベトナムでの南朝鮮軍隊の罪悪』という資料の一部をなんとか入手することができた。私はこの資料を未だ検証されていないベトナム側の一方的な報告書、しかし、いつかは解かなければならない宿題として机の引き出しの中にしまっておいた。そして「父親の世代にしでかした過ちであるが」韓国・ベトナムの間でたがいに殺し合わなければならなかった「痛ましい歴史のほつれを解くための」小さい努力の一貫としてベトナムを訪問した韓国の市民団体「ナワウリ」(「私と私たち」という意味─引用者)の一行に初めてこの資料を公開した。「ナワウリ」は昨年にも日本の市民団体が主催したピースボートに乗船し、韓国軍のベトナム民衆虐殺の現場を回り、証言を採取した。「日本人の助けを借りて韓国人の問題をふりかえるという事実に胸が痛んだ」という彼らは、今や「韓国人の力で」ぶつかってゆこうという志を固め、再び長い旅に出たのである。筆者は第一の目的地であるパンランまで同行することにした。


 文中にある「ピースボート云々」とは、当委員会が紹介した蓬田良和氏のレポートに登場した日本の市民団体の調査を指すものである。ちなみに韓国の市民団体は日本の市民団体の助けを借りていても、国内のマスコミなど公の場では絶対に謝意を表明しない。「日本人の助けなど借りて恥ずかしい」程度のコメントに終始することが普通である。

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| gimonshi | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
蓬田良和『ベトナム戦争、韓国の痛み』(5)
 蓬田良和氏による虐殺に関するレポートは7月20日に紹介した内容が最後である。蓬田氏はこのレポートに付して次のように述べている。

 
ベトナム戦争に参加した韓国軍兵士は、彼の地の民間人を虐殺した。それはアジア太平洋戦争時の日本の姿と重なる。だからと言って日本が免罪されるわけではない。韓国も日本と同じことをした−そんな愚論を展開するよりも、自国の戦争犯罪にどう向き合い、どう謝罪するか。日本も韓国も問われているものは同じだ。

 ・・・でもディエン=タオ村およびハーミ村の虐殺を取り上げて、「韓国だってひどいことをしているのだから、お互いさまだ」と、日本人の戦争責任を相対化することはできない。


 韓国人がベトナム戦争で行った虐殺と日本が植民地下で行った悪行を同列に論じるなという主張である。もっとも至極な主張であるが、蓬田氏は韓国内で韓国軍の蛮行を語るのがタブーとなっており、「謝罪」「補償」などは一切行われておらず、歴史教科書にも一言の言及がないことを知っているのだろうか。(過去に大統領が訪問した際に謝罪めかした言辞を述べたことがあるが、韓国人が日本に求めている「謝罪」の水準からみれば、そんなものは謝罪に値しない。その謝罪に値しない言辞に対しても韓国国内では「謝罪する必要はない」「どうして謝罪したのか」などといった非難が行われているのである。)
 日本は曲がりなりにも「謝罪」を行い、借款という形にしろ「補償」を行い、歴史教科書にも朝鮮を植民地にしたことは記載している。かの扶桑社の歴史教科書ですら、日本軍の悪行については記載しているのである。「同列に論じる」ことによって困るのは韓国人のほうなのである。
 もともと、このレポートの元になった調査は「ピースボート」という市民団体(辻本清美らが関与)が主催した「春風アジアンクルーズ」という行事で行われたものである。(98年春に開催)こうした事情から韓国側に対する批判がましい記述は避けられているのだろうが、韓国での実情をあまりにも知らなさすぎると言わざるを得ない。

 当委員会も「韓国人の犬畜生にも劣る蛮行を明らかにすることで、日本の罪過を雪(そそ)ごう」などという意図をもっているわけではない。日本の罪過を声高に叫びたてながら、自らの所業は徹底して覆い隠す卑劣な韓国人を弾劾し、ひたすらに歴史の真実を糾明せんとするものである。

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| gimonshi | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
蓬田良和『ベトナム戦争、韓国の痛み』(4) 「虐殺は忘れましょう」
 蓬田良和「ベトナム戦争、韓国の痛み」(『週刊金曜日』98年6月19日号)のレポートは続く。

 
チュン=ティ=トゥさん(60歳)は、ハーミの虐殺の際に家族12名を失って、自分と3ヶ月の子供だけが生き残った。 「韓国軍が家を取り囲んで、私の家族を殺しました。私は手榴弾で右足を切断されてしまい、その後は長い間、物乞いで生計を立てざるをえなかったのです
 ファン・ティ・ホアさん(71歳)は子ども2名を殺され、自身も両足を失った。
 「30年間、この事件のことを忘れることはまったくできなかった」と、泣きながら語った。カイさんは、「私はかすり傷ひとつ負わなかったけれども、母親と5名の兄弟を殺された。その立場からひとつ言いたいことがある」と前置きして語り始めた。
 「93年の2月頃、韓国から軍人29名がこの地に観光で来ました。そのなかにひとりの退役将校がいました。彼に事件のことを語ったとき、こんなふうに言われました。『その事件はもう過去のことだ。だから皆さんもそのことを理解してください』
 韓国とベトナム両国のいろんな外交的な問題もありましたし、ベトナム政府からも友好方針を重視せよという通達がありましたので、私たちは『理解します』と答えました。しかし、その退役将校からは、生き残った人々に対して一言の謝罪の言葉もありませんでした。・・・(後略)」


 日本の旧悪については60年たった今でも「謝罪しろ」「補償しろ」と騒ぎ立てている韓国人であるが、自分のしでかした悪行に対しては「忘れてください」の一言ですませ、おまけに謝罪の一言もないという卑劣漢ぶりである。ベトナム政府も韓国との外交的摩擦を避けるあまり、被害者の口を塞いでいるようであるが、こうした欺瞞は絶対に許してはならない。

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| gimonshi | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
蓬田良和『ベトナム戦争、韓国の痛み』(3)
 蓬田良和「ベトナム戦争、韓国の痛み」(『週刊金曜日』98年6月19日号)のレポートは続く。

 
そして2月24日の朝がきた。
 「朝7時、大勢の韓国軍がこの村にきて、すべての住民を三ヶ所に集めました。私たちはまた何か配ってくれるだろう、あるいは何かを知らせにきたのだろう、ぐらいにしか思っていなかったので、彼らの言うことに従いました。3ヶ所に集合し終えると、突然、韓国軍が銃と手榴弾を使って虐殺を始めました。野原の真っ只中で、トンネルの中で、一つの家に詰め込まれて。その家はグエン・ビンさんの家でしたが、一度に74名が集められ、外から銃や手榴弾をみまわれ、その後に放火されました
 カイさんは奇跡的に逃れることのできた9名と、その晩、村に戻ってきた。大勢の人が変わり果てた姿で横たわっていた。カイさんは手分けして埋葬した。
 「ところが、翌日になって韓国軍がブルドーザーなどを使って遺体をすべて掘り起こし、整地してしまったのです。ベトナムではお墓はとても大切なもの。けれども、そのお墓すら失ってしまった。遺体がどこにあるかもわかりません。私たちはこのことを思い出すたびに、心から血が出るほどの痛みを感じています。」


 このディエン・ズオン地区でも「非戦闘員を家や防空壕に詰め込んで射殺・爆殺・放火する」という野蛮行為が行われたことがわかる。おまけにここでもブルドーザーを使って墓暴きが行われていた。

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| gimonshi | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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