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韓国の妄言集−『ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった』5
 記事の続き。韓国がベトナムでやらかしてきた対民慰撫作戦をまるで慈善事業でもやっていたかのように呑気に語る蔡命新(チェ・ミョンシン)。今回は「米をあげました」「人参をあげました」編。
・・・兵士たちは米をあげるときも米袋であげずに、米びつからすくってあげました。我々が食べる米を集めて配給するということを認識させるためです。将校や下士官に命じて村長を訪ねて、膝を折って大礼をして、米をわけてやるようにしました。少しづつ与えるから多く会うようになり、よく会うから親しくなりました。タバコも子供には上げませんでした。それを(ベトナム人)両親は喜びました。それで「礼節を守る韓国人(タイハン)」と認められました。それほど「対民関係」に神経を使いました。対民関係で決定的な役割を果たしたのは人参でした。白人参1本だけあげても白い木綿に包んで懐深くに保管していました。病気の人がいると沸かした湯を持ってこさせて、煮立っている湯のなかに人参を浸して、一度かき回した後、飲めというのを、私は自分の目ではっきりと見ました。彼らは人参で一度かき回した湯であれ、飲めば万病の薬であるかのように信じていました。

 このような「人道的」な韓国軍が裏に回っては強姦・放火・虐殺をやっていたのだから手に負えない。
 蔡命新の語るエピソードはまことに涙ぐましい話であるが、実はこれは温情からやっていたのではなかったのである。ベトコンのブービートラップを発見させるための「ご褒美」だったのである。(詳細は次回)

 おためごかしの「人道支援」主張でで過去を隠蔽しようとする蔡命新を処断しよう!!
| gimonshi | 10:01 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
韓国の妄言集−『ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった』4
『月刊朝鮮』(01年10月号)「ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった」記事紹介の続きである。まずは蔡命新(チェ・ミョンシン)という極右韓国人が出てきて長ったらしい弁明と思い出話を繰り返しながら、自分たちがベトナムでやってきた蛮行を合理化するのに必死になっている。この蔡という極右は当時のベトナム駐留韓国軍の司令官だった輩で(65年から69年)、座談会の当時はベトナム参戦戦友記念事業会という極右団体の会長を務めていた。

 記事の続き。韓国がベトナムでやらかしてきた対民慰撫作戦をまるで慈善事業でもやっていたかのように呑気に語る蔡命新(チェ・ミョンシン)。

      『100人のベトコンを逃しても1名の良民を保護しろ』

我々がしなければならないことは、ベトナム良民の保護でした。我々の方に引き入れ、引き入れられなければ最小限中立を守らせるようにしようという目標を立てました。それで民間人を助けてやったわけです。ベトコンと良民の間を遮断させるために、立てた戦術が中隊戦術基地概念でした。完全な四方防御が可能な地域に基地を作って正規ベトコン軍連帯級の部隊が攻撃してきても48時間は耐えられるように弾薬・水・食料などを準備しました。昼には心理戦部隊を投入して、部落に行って病気の住民を治療してやり、散髪もしてやり、敬老の宴も開きました。アメリカ軍司令官・ウェストモーランド将軍は韓国軍は夜間作戦をするから、沢山食べなくては鳴らないと、軍用食など補給品を30%増量してくれました。ここから残った肉などを住民に分け与えました。
 我々がアメリカ軍より有利だったことは儒教と仏教思想に基礎を置いた対民関係でした。宗教には人種も国境もありません。従軍僧侶も連れて行きましたが、足りなくて兵士の中から仏教に関して知っている者を選んで対民活動に投入しました。部落に行ってベトコンが破壊した寺を直してやりました。念仏・読経するのを見て、ベトナム人らは嗜好に合うから喜んでいましたよ。

 要するに「ベトコン」を殲滅するための慰撫工作なのだが、大した恩でもほどこしてやったかのように呑気に語る蔡命新(チェ・ミョンシン)。こういうのは彼らがよく叫ぶ「戦争犯罪の美化」じゃないのだろうか?おまけに残った肉を分け与えたとは恐れ入る。こうした「善行」の一方で放火・虐殺・強姦もやらかしていたのが韓国軍なのだ。 
| gimonshi | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
韓国人の妄言集−『ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった』3
 『月刊朝鮮』(01年10月号)「ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった」記事紹介の続きである。まずは蔡命新(チェ・ミョンシン)という極右韓国人が出てきて長ったらしい弁明と思い出話を繰り返しながら、自分たちがベトナムでやってきた蛮行を合理化するのに必死になっている。この蔡という極右は当時のベトナム駐留韓国軍の司令官だった輩で(65年から69年)、座談会の当時はベトナム参戦戦友記念事業会という極右団体の会長を務めていた。

 
『100人のベトコンを逃しても1名の良民を保護しろ』

 ・・・行かざるを得ない、勝つことのできない戦争だ。それならどうしなければならないのか。悩みました。作戦、戦略をどのようにするかが重要でしょう。それで私は「100人のベトコンを逃しても1名の良民を保護しろ」という基本戦略を考え出し、兵士たちに徹底して周知させたのです。ベトコンを殲滅して勝とうというのではなく、良民を保護しようというところに韓国軍の戦略を置いたのです。ベトナム軍参戦勇士らは今もそのまま記憶している内容でしょう。基本戦略達成のため、われわれは持っていた力の70%を対民保護に使い、30%を軍事的なものに使いました。その30%も民間人保護のため民間人とベトコンの関係を遮断するのに使いました。のちに蒋介石総統に会ってその話をしたら、「どうしてそのように私の考えと同じなのか」と感嘆しました。


 韓国人が自分の大したことのない自慢話に関係もない人間を登場させて、いかに自分が大したものか誇示するのは、よくやる手である。まあ、それはそうとして、笑止千万な話である。「100人のベトコンを逃したら、100人の良民は虐殺強姦してもよい」の間違いじゃないのか? 当委員会のブログの読者であるならば蔡命新のタワごとに憤怒と爆笑を禁じえないであろう。いわゆる「民間人とベトコンの関係を遮断する」という作戦の過程で強姦略奪放火などが行われたと思われる。

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| gimonshi | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
韓国人の妄言集−『ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった』2
 『月刊朝鮮』(01年10月号)「ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった」記事紹介の続きである。『月刊朝鮮』の妄言は続く。

 
共産主義者らの膨張政策に立ち向かって、アメリカとベトナムの友邦国として友達を助け、6・25(朝鮮戦争−引用者)当時の恩を返すためにベトナムの地で数千人の高貴なわが若い血を流して戦い戦死し、1万数千人の兵士が負傷した。そして数万名が枯葉剤の患者として今も苦痛に呻吟している。金泳三政権では金淑姫・教育部長官がベトナム派兵の性格を傭兵であったように発言して軍の反発を買い、解任されたことがあった。今回の金大統領の謝罪は傭兵発言に勝るとも劣らない反大韓民国的な歴史観の表出だという批判が起こっている。『月刊朝鮮』は(中略)ベトナム参戦に対する性格規定と歴史的意味の再照のために座談会を開いた。


 これがすべてを物語っている。韓国は日本に対し謝罪を求め、これに反発するとすぐ「妄言」と逆上するが、自分たちは「謝罪」することが「妄言」だと言って憤慨するのである。恐ろしいダブル・スタンダードである。ベトナム戦争に否定的な発言をすると長官(大臣)を罷免されるというのだから、二重基準も極地に達している。戦死だ負傷だ枯葉剤だなどと自分たちがまるでベトナム戦争の被害者みたいな面を下げて回っているが、韓国人兵士に虐殺されたり強姦されたり枯葉剤をまかれたりしたベトナム人こそいい迷惑であろう。徹底的に自己中心的な輩である。こういう態度を「大韓民国的」というに及んでは言うべき言葉を知らない。韓国語には「自己矛盾」「不条理」という言葉がないのであろうか。

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 今後はこの笑止な座談会における妄言の要点をお伝えしていく予定である。
| gimonshi | 12:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
韓国人の妄言集−『ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった』2
 『月刊朝鮮』(01年10月号)「ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった」記事紹介の続きである。この記事はベトナム派兵当時の国防長官だった金聖恩、当時の派兵軍の司令官だった柳陽洙、当時のベトナム共和国大使だった蔡命新などが朝鮮日報の趙南俊をまじえて行った座談会の放言をまとめたものだが、ベトナム人に対する「反省」だの「謝罪」だのは一切ない、まさに彼らのいう「妄言」「妄発」の集大成である。 そもそもなぜ彼らがこのような座談会を始めたのかというと、01年8月に当時の金大中大統領がベトナムに行って「謝罪」をおこなったからである。韓国人が執拗に日本に求めている謝罪と比較すると「謝罪」ともいえないほどのおざなりなものだったが、それでも韓国人右翼は猛反発し、急遽、このような座談会が開かれたのである。座談会記事のしょっぱなには朝鮮日報編集者による「注」がついている。

 
金大中大統領は8月23日、青瓦台で訪韓中のチャン・ドゥク・ルオン国家元首と行った記者会見を通し「不幸な戦争に参加し、本意ではなくベトナム国民に苦痛を与えたことに対して申し訳なく思い、慰労の辞を述べたい」と公式謝罪したと報道した。金大統領は特に「前回(1998年12月)」ベトナム訪問の際にホー・チミン墓苑もそのような心情で参拝したもの」と付け加えた。(文化日報8月24日)金大統領は1998年12月、ベトナムを訪問したときにも「両国間の不幸な過去に対し遺憾に思う」という表現を用いたことがあるが、今回は具体的に加害の主体を明示し、過去の遺憾の表明から今回には確実に謝罪発言したという点で非常に大きな波紋を広げている。


 「遺憾」だの「申し訳ない」は韓国人のレトリックからすると「心からの謝罪」ではないはずである。(少なくとも日本に対する韓国人の態度からはそうである)また、金大中は謝罪しただけで「補償」を約束したわけでもないのである。そもそもベトナム派兵は主権国家である韓国が主体的に決定したもので「本意ではなかった」などとはつじつまが合わない。ところが、このような「謝罪」ともいえない「謝罪」でも極右韓国人は猛反発した。

 
ハンナラ党の朴槿恵議員は直ちに声明を発表し、大統領の謝罪発言を問題化した。特にベトナム参戦戦友記念事業会(会長・蔡命新)は30旅団参戦軍人の名誉を毀損する行為だとして憤慨している。在郷軍人会も大統領の謝罪を批判した。
 

 自分たちがベトナムでやってきた強姦略奪には目をつぶり、この程度の「謝罪」にも憤慨する韓国人の歴史認識とはいかなるものなのか、これでよくわかるだろう。一言で言えば「謝罪は他人のやること」である。彼らは未だ韓国では「派越英雄」であり、受勲者なのである。

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| gimonshi | 10:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
韓国人の妄言集−『ベトナム防御がすなわち韓国の国防だった』1
 韓国の月刊誌『月刊朝鮮』(01年10月号)は金大中大統領(当時)が02年8月にベトナムに対して行った「謝罪」に反発して、ベトナム派兵に参加した将兵を集めた座談会を開催し、その模様を掲載した。本委員会はその内容を入手することに成功したが、まさしく妄言虚言のオンパレードである。参加者は当時ベトナムでの残虐行為に加担していた戦犯と当時の国防長官などであるが、日本に対し「率直な謝罪と補償」を求め続ける平素の姿と異なり、自らのやらかした虐殺強姦には一切言及せず、ひたすらみみっちい自己弁護と保身に汲々としている。当委員会ではこの座談会の主要部分を抜粋し、彼らの腐敗せる姿を満天下に明らかにする予定である。
| gimonshi | 11:12 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
韓国疑問史糾明委員会からのアピール
 長らく更新を怠ってきたことをお詫びもうしあげます。当委員会は韓国人が隠蔽している過去史であるベトナム戦争での蛮行を徹底して暴き糾明することを目的とする有識者の集まりです。更新の遅延はさまざまな理由がありますが、メンバーの一部が規約を犯し、(韓国人に対する)利敵行為に走ったことが主な要因です。このたびメンバーを刷新し、再出発することになりました。
 これからは新しい資料をもとに1週間に1度のペースで更新いたします。支援者の皆様、マスコミ・出版社の皆様、当委員会の連絡先は下記のとおりです。韓国人の蛮行に関する新たな情報や資料、または書籍化のご提案などは下記にお送りください。

 gimonshi@yahoo.co.jp

 韓国疑問史糾明委員会
| gimonshi | 17:45 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一の欺瞞(続)
 本多勝一は『週刊金曜日』(00年3月17日)で次のように述べている。

 
韓国と日本の関係は、ヨーロッパでいえばドイツとポーランドのそれに似ているのではないでしょうか。ドイツはポーランドを侵略し、敗戦までにご存知のようなひどいことをやっていました。その点は韓国に対する日本と共通でしょう。しかし全く異なるのは、戦後の両国です。現在に至るまでにドイツがポーランドに対してやってきたこと、日本が韓国にやってきたことは、もはや「天地の差」でしょう。歴史教科書の作り方ひとつをとっても、ドイツはポーランド側と協力しながら、共通の認識を求めて努力していますが、日本はそれどころか、最近はむしろこれまで以上に改悪させようとする勢力が跋扈しつつあります。


 本多はドイツとポーランドを日本と韓国の関係に置き換えることで、巧みに韓国の悪行と自分の恥ずべき過去を隠蔽している。韓国の過去と現実を語るなら、むしろ、ドイツとイスラエルの関係に置き換えるべきである。本多の手法をまねて書くとこうなる。

 韓国と日本の関係は、ドイツとイスラエルのそれに似ているのではないでしょうか。ドイツはユダヤ人を虐殺し、敗戦までにご存知のようなひどいことをやっていました。ユダヤ民族の絶滅をはかったナチスドイツと、朝鮮民族の同化をはかった日本のどちらがひどかったのかいう問いについてはさまざまな意見がありえるでしょう。
 しかし共通しているのは日本・ドイツと韓国・イスラエルの戦後です。加害者だった日本・ドイツが侵略や虐殺とは無縁だったのに対し、被害者だったイスラエルはパレスチナ人を虐殺しまくり、それは今も続いています。韓国も反共を口実にベトナムに派兵し、女子供を強姦したり虐殺したりしました。本田勝一も韓国軍の招きに応じて韓国軍の代弁をしていました。
 歴史教科書でも日本とドイツは過去の過ちを曲がりなりにも認めていますが、イスラエルや韓国ではパレスチナ人虐殺やベトナム人虐殺は「正義」なのです。

 肝心なことについては口をぬぐって、日本攻撃にのみ熱をあげる本田勝一を弾劾しよう!人気ブログランキングをクリックしてベトナム人虐殺にほっかむりをする韓国人を糾弾しよう!
| gimonshi | 16:42 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
本多勝一の欺瞞
 進歩派ジャーナリストの教祖的存在である本田勝一であるが、ベトナム戦争当時、虐殺・放火・強姦など鬼畜の所業を繰り広げていた韓国軍の招きに乗って、残虐な韓国軍を賞賛する提灯記事を書いていたことはあまり知られていない。このことについては、すでに当研究会によって明らかにされた次第がある。

 http://gimonshi.jugem.jp/?day=20050712

 2000年3月17日付けの『週刊金曜日』にて本多が当時の盲動を反省するどころか、韓国人の進歩派(つまり反日)ジャーナリズムと結託して、あいも変わらぬ日本批判を繰り広げていることが判明した。『週刊金曜日』の記事を引用しよう。

 
その後の私にとって忘れぬことのできぬ韓国とのかかわりは、1967年のベトナムにおける韓国軍猛虎師団への従軍です。私はベトナム戦争を長期にわたって報道してきました。従軍はアメリカ軍にもベトナム軍(当時の南ベトナム解放戦線)にもしましたが、猛虎師団への従軍にも印象深いものがあります。・・・このときインタビューした師団長・柳炳賢少将や韓国人ジャーナリスト崔仁集などの言葉も紹介しましたが、これらの人々の当時の言葉は、いま読んでも古くなっていないようです。


 当時、本多がインタビューを試みたという猛虎師団の柳少将のコメントは次のとおりだ。
 
 
・・・「あんまりほめてはいけません」と、猛虎師団の柳少将は完璧な日本語でいった−「若い兵隊は人間ですから、決して完璧ではありません。あやまちの例もかなりあります。でも、韓国軍の各兵卒が、おっしゃるように立派だとしたら、それは上からの命令や方針によるものではないと思います。各個人の自覚の問題です。各個人が、共産主義者との戦いの意味を本当に自覚しているのでなければ、この戦争はできません。信念の問題です」
 では、いったいなぜ、こんなにも評判が悪いのだろうか。
「第一に、ベトコンの宣伝です」と師団長は答えた−「後方撹乱戦術です。同盟軍を分裂させようとするもくろみのひとつです。そして第二に嫉妬です」本多勝一『戦場の村』(朝日新聞社、1968年)


 このように本多はまんまと韓国軍の宣伝工作にのせられているばかりか、次のように言い放っているのだ。

 
サイゴンをはじめ、韓国軍占領区以外の南ベトナム全土で、あれほどにも悪評と黒いうわさをきかされる韓国軍は実は一番神経をつかい、最も献身的にベトナム民衆につくしている。ことによると、韓国軍が派兵したばかりのころは、うわさのようなこともあったのかもしれない。あった可能性は高いと思っている。だが、デマと宣伝の充満する戦国で、クチコミによる材料を取材の素材にすることはやめよう。
 

 ベトナム民衆のクチコミを無視し、韓国軍の宣伝のほうを信じようという本多の姿勢は平素の進歩派ぶりとはかけ離れたものである。『週刊金曜日』の記事でもわかるように、今なお本多はこのことを反省していない。しかも自分の非は覆い隠したまま、こんどは韓国人と連帯して彼らの反日活動に同調しようとしているのである。

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| gimonshi | 17:58 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
慰霊碑でベトナム人を愚弄する韓国人(2)
  『ハンギョレ21』01年04月24日号(第356号)の記事の続きである。

しかしベトナム側の立場は違った。ディエンチュン社人民委員会主席・ウンウェン・バン・ハイ(44)は去る 9月15日の協議過程ではっきりと合意したことは竣工式の日付だけだったと明らかにした。「『虐殺』内容を入れないという約束はした事がない。太極旗と双方の推進委員名簿を刻む事は後ほど不可能だと知らた。住民たちが『虐殺現場に太極旗を刻むことができようか』と強力に反対したからだ。」 碑文内容に関しても住民たちが頑強だったというのがウンウェン・バン・ハイの説明だ。「慰霊碑を建ててくれたことはありがたく思う。しかし碑文内容まで幹渉することは受け入れない。これは我々の歴史で過去であり真実だ。」
それでも金ムング理事長は「碑文から虐殺内容を削除するのが可能なこと」と用心深く述べている。これによって早いうちに竣工式が可能だろうと言う楽観だ。「書信を通じてベトナム側とずっと意見を交換している。碑文に書かれている虐殺内容と『青竜』の名前さえ消してくれれば、すぐ竣工式を行えるというのが私の立場だ。私たちは持続的にハミ村戦争被害者たちと姉妹提携事業を広げるだろう。慰霊碑が障害物になってはならない。」
今度の問題に関して「心より謝罪するつもりがないから問題が起こるしかなかった」というは指摘も出ている。派手な物質的恩恵授与だけ先立たせる場合、ベトナム人たちにもっと大きな傷を残すことがあるということだ。とにかく今度の問題は今後ともずっと続くベトナム戦歴史問題の解決過程に重要な示唆を与えているようである。



 自分たちで虐殺をしておいて、「虐殺という文字を消せ」「下手人の名前を挙げるな」という居丈高な要求までするとは、どこまで面の皮が厚いのだかわからない。自分たちの勝手な歴史観で編纂した教科書に虐殺を載せないのは当然として、ベトナムまで出かけていってベトナム人を恫喝しているのだから、あいた口がふさがらない。

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| gimonshi | 16:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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